女子ボクシング選手・岸本 有彩

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「相手が3発打ってくるなら私は4発打つ」我強なので、気持ちでは絶対に負けません!
ボクシングは人生の道しるべ
2024年パリオリンピック出場に向け歩む日々。

Interview

現在、東洋大学女子ボクシング部第1期生として練習に励む岸本有彩さん。高校2年生で出場した全日本女子ボクシング選手権大会 ジュニアの部 ライトフライ級で準優勝して以来、新型コロナウイルス感染症の影響で大会は相次ぎ中止。リングに立てない、苦しくももどかしい時期が続いた。そうした中、名門 東洋大学ボクシング部からオファーがかかり、スポーツ特待生として入学。今春、新たなスタートをきった岸本さんに、ボクシングにかける思いと今後の目標についてインタビューした。

キックボクシングからボクシングに転向

― キックボクシングを始めたきっかけ
父と弟が通うキックボクシングのジムでサンドバックを叩き遊んでいるうちに、気が付いたら入会させられていました(笑)。小学3年生でしたが、他の小学校の友達もできて、ただただ楽しかった記憶しかありません。
― パンチの技術を磨くためボクシングを開始
キックボクシングジムに通い、キックは上達し得意になったのですが、パンチの技術がなかったので、中学に上がってからはパンチを学ぶ為にボクシングジムにも通いはじめました。最初はパンチ系の技が学べればと思っていたのですが、通ううちにどんどんボクシングにハマり、その魅力に引き込まれました。ルールはシンプルなのに、選手の数だけ戦略も異なり、自分に合ったスタイルを見つけていくのが楽しくて……。練習するたびに新しい技術をたくさん学べる点も魅力です。そして、ボクシングはランキングが出るので、チャンピオンを目指すならボクシングだと思い、中学2年生の頃にはボクシングに専念するようになりました。

ボクシングを中心に過ごした高校時代

― ボクシングの礎を築いた場所
ボクシング一本になってからは、父の知人が会長を務める北谷町の“沖縄ワールドリングボクシングジム”に通い始めました。型にはまらず、のびのびと思い切りやらせてくれる方針のジムで、個々のスタイルの形成をサポートしてくださる会長の指導法が私の性分にも合っていたのだと思います。

― ボクシングに専念する為、北谷町へ
実家のある名護市から北谷町のボクシングジムへは、両親が送迎してくれていました。とはいえ、片道50kmはあります。毎日の事となると負担も大きく、高校入学を機に父と北谷町で暮らす事になりました。父の職場は名護市にあるので、私のボクシングの為だけに決断し、家族みんなが協力してくれた事は、本当に感謝しています。

― ボクシング部のある嘉手納高校へ進学
高校はインターハイ出場を見据えて、ボクシング部のある嘉手納高校に進学しました。北谷町から自転車で通学し、放課後はほぼ毎日ジム通いです。当時はジム以外の練習は父がメニューを組んでくれていたので、朝はランニングから始まり、砂浜でのトレーニングなども行いながら身体づくりをしました。怒ると怖い父ですが、今こうしてボクシングができているのも父のお陰です。

全九州高校新人大会 優勝

― 東洋大学ボクシング部
三浦数馬監督との出会い
高校1年生の1月に、全九州高校新人大会のライトフライ級に、沖縄県代表で出場しました。1回戦では「勝たなければ」と気負い過ぎてしまい、いい動きができず、勝ちはしたものの非常に内容の悪いゲームになってしまいました。試合が終わると、男子選手のスカウトに来ていた東洋大学の三浦数馬監督が「もう少し距離を取った方がいいよ」とアドバイスしてくださいました。その言葉を意識して、翌日の2回戦では間合いを取り臨んだところ、RSC勝ち(※1)ができました。これまでにも何回かRSC勝ちをした事はありますが、あそこまで綺麗に決まったパンチは未だかつてありません。その後も順当に勝ち上がり、新人大会で優勝する事ができました。まだこの頃は、のちに三浦監督の元で指導を受ける事になるとは、全く想像もしていませんでした。

※1.プロボクシングのテクニカルノックアウト(TKO)に相当するルールで、レフェリーが行う勝敗宣告の事。

全日本女子ボクシング選手権大会 準優勝

― 「まだ自分は成長できて強くなれる!」
敗北から得たもの
高校2年生の6月に行われた全九州高等学校ボクシング競技大会でも優勝を収めた私は、10月に開催された全日本女子ボクシング選手権大会に出場。ジュニアの部 ライトフライ級で準優勝を飾る事ができました。決勝戦で負けた事は悔しかったですが、手応えの感じられる内容だったので「まだ自分は成長できて強くなれる!」と前向きな気持ちで次につなげることができました。この調子で次の大会でも結果を出し、卒業後の進路を考えていこう……。あの頃はまだ、世界に未曾有の事態が訪れるとは思わず、希望に胸を膨らませていました。

コロナ禍で目標としていた大会が中止に

― 先が見えない不安な日々
2020年に入り、日本でも新型コロナウイスル感染症が広がりはじめ、3月に予定していた全国高校選抜大会の中止が決定しました。大会がなくなってしまった事もショックでしたが、ここで結果を残し、将来について考えようと思っていた私は、目標も指針も見い出せず混沌とした心境の中、時間だけが過ぎていくような日々を送っていました。大学に進学するか、プロの道に進むか。当時は県外に出る事は考えられなかったので、県内でどのようにボクシングを続けるか。弟が2人いるので、経済的にもワガママは言えないと感じていました。

名門 東洋大学ボクシング部からのオファー

― 思いもしなかったチャンス到来
東洋大学の三浦監督から連絡をいただいたのは、その頃でした。東洋大学はボクシングの名門校で、OBにはオリンピック選手やA級ライセンスのプロボクサーなど名だたる卒業生を輩出した、ボクシング界では有名な学校です。そんな名門ボクシング部に、女子部員第1期生としてお声がけいただいたのです。その瞬間、それまで沈みかけていた私の心が、一気に晴れた事は言うまでもありません。イメージだけで東京にビビッていた私でしたが、連絡をいただいた翌月には、東洋大学の練習に参加する事になりました。

― 充実の設備と最高の環境
ボクシング部の練習場は、東洋大学総合スポーツセンターのアスリートビレッジという立派な施設の6階にありました。全面ガラス張りの窓からは、都内が一望できます。練習場は広く、たくさんのサンドバックが吊り下げてあり、その設備の素晴らしさに驚きと感動を覚えました。東洋大学は、大学日本1のボクシング部です。バリバリの体育会系で、さぞや練習も厳しいのではないかと内心ドキドキして練習に臨みましたが、決してそのような事はなく、先輩方もオンとオフをきちんと使い分け、真摯に練習に取り組む姿を目にした私は、「この大学に入りたい!」とすぐ父に伝えていました(笑)。

スポーツ特待生で学費が免除に

― 学費免除と奨学金で金銭面での不安が解消
実際に練習に参加した事で、東京に出る事への不安は一瞬にして消し去られましたが、問題はお金です。名護市から北谷町へ引っ越す時にもどれだけお金がかかった事か。まして東京に出て大学に通うとなれば、さらに両親への負担が増えます。そうした不安も三浦監督は察してくれたのか、スポーツ特待生として入学すれば、入学金や授業料、設備費といった学費が4年間半額免除になると教えてくださいました。その事を両親にも伝え、「東洋大学でボクシングをやりたい」「絶対に強くなる」と誓いお願いしたところ、両親からも「大学に行ってほしい」と言ってもらい、応援してもらえる事になりました。学費や生活費についても、奨学金を借りる事で解決しました。

東京で新生活をスタート

― 経営学科での学び
そして2021年4月、私は東洋大学 経営学部 会計ファイナンス学科に入学する事ができました。同学科では、企業経営全般について学べるほか、特に会計分野、ファイナンス分野での高い専門性を備える事ができます。企業や組織のお金の調達、活用、管理に関する知識を身につける事は、実生活にもいきるものですし、税理士や公認会計士、行政書士、ファイナンシャル・プランナーや簿記など、就職をする上でも優位な資格が取得できる学科なので志望しました。まだ1年生なので卒業後の進路は決めていませんが、ボクシングを続ける為にも生活の基盤はしっかり作りたいと思っているので、これから一生懸命学び、学問とボクシングを両立させたいです。

― 女子ボクシング部創設の理由
ボクシング部には、私と同期の女子部員1名と、男子部員が30名所属しています。女子ボクシングがオリンピックに採用されたのは、2012年のロンドンオリンピックからです。ただ、ロンドンオリンピック、リオオリンピックでは3階級のみの実施で、日本人では出場枠を獲得した選手はいません。それが東京オリンピックからは5階級に増える事、加えて2024年開催予定のパリオリンピックでは、さらに階級を増やす事が検討されています。そうした経緯もあり、本年度、東洋大学で女子ボクシング部の創設が決まったとお聞きしました。2024年は、大学4年生の年です。在学中にオリンピックに出場し、大学はもちろん、三浦監督はじめこれまで私を支え、見守ってきてくださった方々の為にもその期待に応え、恩返しできるよう頑張りたいです。

― 出稽古で女子選手とのスパーリング
大学の練習は、月曜日~土曜日の週6日。授業前の朝練と放課後の午後練があり、練習場以外にもロードワークやトレーニングルームを利用する事もあります。また、週に何度か出稽古という形で一般のジムに出向く事もあり、活躍されている女子選手とスパーリングをさせてもらえるなど、練習内容がとても充実しています。沖縄にはほとんど女子選手がいなかったので、実践が積めるといった面でも東京に出てきて良かったなと思います。

― 寮生活と食事
女子ボクシング部には寮がない為、私は東洋大学総合スポーツセンターから自転車で20分ほどの学生寮に入寮しました。家賃は朝晩の食費込みで6万円。一人部屋なので、わりと自由です。まだ東京での生活に慣れないので、奨学金ふくめお金の管理は両親にお願いしています。寮にはキッチンもあるので、時間があれば自炊しますが、忙しい時はスーパーやコンビニを利用して、栄養面を考慮した食事を心掛けています。一時期は県内の大学に進学する事も考えていましたが、費用面だけを比較して考えると、学費免除のお陰で東京に出て寮で生活する方がトータル的には安く済んでいるのかもしれません。

― オフの過ごし方
日曜日はオフなので、寮の友人と外出する事もあります。上京する前は「電車に乗れるかな?」など不安もありましたが、メディアで見てきた街が30分足らずでどこへでも行けるので、コロナが終息したら色々なところに行ってみたいです。あとは、ボクシングに関する動画を見るのも好きです。プレースタイルが好きなマニー・パッキャオ選手はじめ、アマチュアのトップ選手、女子のオリンピック代表選手など、憧れの選手の対戦を目に焼き付けて、良いプレーを取り入れていきたいです。

関東大学ボクシングリーグ戦が開幕

― 1年半ぶりにリングへ
2019年10月に開催された全日本女子ボクシング選手権大会以来、1年以上も大会に出れていません。けれど、今年は6月に関東リーグ戦が行われるという事で、久しぶりに大会に出場できます。一戦一戦気持ちを引き締め、頂点に立てるよう勝ち進みたいです。そして関東リーグ戦を皮切りに、その後も各種大会が開催されます。女子ライトフライ級は激戦区なので、誰と対戦する事になっても気を抜けません。それでも、これまで積み重ねてきたものがあるので、自信を持ち試合に臨みたいです。「相手が3発打ってくるなら私は4発打つ」我強なので(笑)気持ちでは絶対に負けません!

パリオリンピック出場に向けて

― 目標は2024年パリオリンピック出場
将来の夢というと、ずっと先の話のような気がするので、まずはこれからはじまる全ての大会で結果を出し、2024年のパリオリンピックに出場する事を目標に掲げています。ちょうど大学4年生なので、年齢的にもいい時期だと思いますし、欲を言えば、その次のロサンゼルスオリンピックも狙っていきたいです。オリンピック選手になれるかは既にスタートが切られているので、1日1日を大切に、鍛錬を積み重ねていきたいです。

ボクシングは人生の道しるべ

― 私に関わるすべての人へ感謝
まだ二十歳にもなっていませんし、ボクシングに転向して6年弱ですが、私にとってボクシングは、ここまでこれた道しるべ。自分の人生の中心にあるものだと思っています。ボクシングをやってたからここまでこれたので、私の活動を支え、応援してくれる家族や友人、監督やトレーナーには感謝していますし、ボクシングというスポーツにも感謝しています。

沖縄の高校生へメッセージ

― 深く探求すれば道は開ける!
些細な事でもいいので、自分の好きな事を見つけて探求してください。そうすると、今後の事、将来の夢にもつながっていくと思うので、諦めずに自分の好きなものを見つけてどんどん深く探求していって欲しいです。そうしたら、必ず道は開きます。あとは、私のようにスポーツで頑張って結果を出すという方法もあります。努力は裏切りません。自ら道を切り開き、チャンスを引き寄せられるように、私もみなさんに負けないよう頑張ります。

三浦数馬監督からのメッセージ

とにかく岸本さんは頑張り屋さんです。コツコツと練習を重ね、向上しようと努力する姿勢は大事な要素であり、才能です。これまで数々の選手を見てきましたが、ボクシングに関する集中力と負けん気の強さは、沖縄出身のみなさんに共通する強みだと思います。それには、我がボクシング部 名誉総監督でもある金城真吉氏の功績であり、そのスピリッツが沖縄にいる現代の指導者にもしっかり浸透しているからだと感じます。

これまでボクシングは男子の花形スポーツとされてきましたが、東京オリンピックで女子の階級が増える通り、これからは女子の選手も活躍する時代です。岸本さんは、オリンピックを狙える期待の選手です。本人もわかっていると思いますが、ボクシングはとても厳しい世界です。年頃の女の子なので、ファッションやメイクなど、興味のある事がたくさんある中、その全てを投げうってでもボクシングに賭け、男子の中に混じり同じメニューにも付いてきていますから、必ずや結果を残してくれるでしょう。

しかしながら、長い人生の中で、ボクシング選手でいられる期間はほんのわずかです。選手たちには一つでも多くの大会で勝利し、オリンピック選手を目指し活躍してもらいたいという思いはありますが、大切なのは、その後の人生です。ボクシングで得た経験を糧に、自分の足りない部分を自覚しながら培ったものを武器として、いずれは社会のリーダーとして活躍し、貢献できる人材を育てる事が私の役目だと思っています。

ボクシングの指導者として、具志堅用高氏など数多くのチャンピオンを育てた故・金城眞吉氏(写真:右)は、2011年より東洋大学ボクシング部の監督に就任。現・三浦監督(写真:左)就任後も、総監督として情熱を持ち指導と育成にあたっていました。そんな金城氏の金言「練習に泣いて試合に笑え」「人に勝つ前に自分に勝て」は現在も練習場の壁に掲げられ、その精神は選手たちに脈々と受け継がれています。私にとっても、金城監督との出会い・一緒に過ごした時間は宝物です。

Profile

岸本 有彩/女子ボクシング選手
Arisa Kishimoto
2002年名護市生まれ。沖縄県立嘉手納高等学校卒業後、東洋大学 経営学部 会計ファイナンス学科入学。小学3年生の時に父と弟の影響でキックボクシングを始め、中学生からボクシングに転向。2019年1月に開催された全九州高校新人大会 ライトフライ級で優勝したのち、同年10月に行われた全日本女子ボクシング選手権大会 ジュニアの部 同級で準優勝を獲得。そしてこの春より、東洋大学女子ボクシング部第1期生として入部。2024年開催予定のパリオリンピック出場を目標に掲げる。

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