どんなデザインだって彼らにかかればお手のもの、独創的な作風が見た人の心をわしづかみにして離さない、沖縄生まれのアートユニット「ATORON」。県内のアート界をリードするそんな2人に独占インタビューを行ない、高校時代の思い出話や、デビューから現在に至るまでのマル秘エピソードなど、興味深い話をたっぷりと聞いた。
Interview
専門学校時代に出会った2人が卒業後間もなくタッグを組み、コザのまちを拠点に活動を続けるアートユニット「ATORON」。独特のタッチで描くイラストやキャラクターが多くの人の心をとらえ、最近ではテレビやスマホアプリのアニメーションの世界にまで進出。結成17年目を迎えますます創作意欲旺盛なお2人に、クリエイティブの源について話を聞いた。
学生時代は夢への助走期間。ゆっくりと思いを育む
ATORONが活躍するフィールドはビジュアル制作全般に及ぶ。イラストを描いたり、ロゴやキャラクターをデザインしたり、アニメーションを作成したりするのが主な仕事である。2人は現在浦添市牧港にあるデザインの専門学校IDA(インターナショナルデザインアカデミー、在学時は那覇市金城にあった)グラフィックデザイン科の同級生で、卒業したその年の暮れに、フリーランスのアーティストとして共同で活動を開始した。つまり多くの人がたどるような、会社勤めをして、技術を身に付けて、社会人の経験を積んで、人脈を作って…という助走期間もほとんどないまま、一気に独立したことになる。最初のユニット名は「自由創作表現者」。2000年に事務所をコザに構え、アトリエ「ATORON」を設立。2010年からは自由創作表現者から、「ATORON Creative Entertainment」に改名した。それでは2人は高校生時代、将来についてどのように考えていたのだろうか。話を聞いてみると、同じユニットとはいえそれぞれまったく異なるタイプだったことがわかる。早くから意志が固まっていたのは司さんだ。「子どもの頃から漫画を読んだり描いたりするのが大好きでしたね。でも、絵の勉強をするために美大に進もうとまでは考えていなかったし、それこそ漫画家を目指すつもりもありませんでした。専門学校を選ぶ段階で、広告や商業デザインの方向で働きたいという気持ちのほうが強かったですね」。世代的には、幼少期にドラえもんのテレビ放送が始まるなど、藤子不二雄作品の影響を強く受けて育ち、学校では友だちの似顔絵を描いて見せてはみんなの反応を見て楽しんだり、教科書で“パラパラ漫画”を作ってよく遊んでたという。一方でエノビさんは、「もちろん絵を描くことは好きでしたが、まさか仕事にできるなんて思いも寄りませんでした」と振り返る。むしろデザイン関係以外の分野にも、夢は漠然と広がっており、「音楽、トリマー、ファッション雑貨等々、いろいろなことに興味がありました」。また高校時代まではうるま市で生まれ育ったため、外の世界に興味を持ち始める年頃になると、「コザはちょっとした憧れの町」になり、お気に入りの店を見つけては友だちとよく通っていたという。それがたまたま進学することになった専門学校で司さんと出会い、すっかり意気投合。このときから将来の夢や仕事のことについて語り合い、やがて卒業後は共同で創作の道を進んでいくことになる。とはいえ2人とも、専門学校時代から積極的に作品を発表したり、社会人に交じってバリバリ活動するようなタイプではなかった。どちらかといえばごくごくフツーの学生生活を送っていた。
無名時代に初の作品展を美術館ギャラリーで開催
そして世の中に「友寄司&エノビ☆ケイコあり」を大々的に印象づけたのが、1997年12月、浦添市美術館で開催した初の作品展「トゥーナー」だった。半年ほど前までごくごくフツーの学生だった2人が、県内最大規模の美術館(現在の県立博物館・美術館は2007年開館)の展示スペースを借りて個展を開くまでになるとは、その間に一体何があったのか…実は、とくに何もなかった。あったのは「根拠のない、妙な自信だけ」と司さんはいう。卒業後、一度は就職した広告代理店を早々に退職し、フリーランスのアーティストとして活動していた司さんは、エノビさんと一緒に作品を発表できる場所を探していた。実績も何もなく、これから世に打って出ようという無名時代なら、小さなギャラリーやカフェなどの一角を借りてひっそりと開きそうなものだが、2人は大胆にも「どうせなら、たくさんの人に見てもらわなきゃ」と美術館に着目。何も気にせぬまま問い合わせてみると、問題なく借りられることが分かり、「それならぜひやってみよう!」とさっそく準備に取りかかった。例えるなら、デビューしたばかりのミュージシャンが、県下最大のコンサート会場でライブを開くようなものだろうか。それだけでもなかなか度胸のいることだが、告知の仕方も無名アーティストとしては型破りだった。「チラシを配ろうにもお金がありませんからね。いろいろなお店を回ってスポンサーを募り、“チラシのウラ面にお店のPRスペースを作りますから”とお願いして、印刷資金を集めたんです。専門学校で最も身に付いたのは、スキル以上にプレゼン力かもしれません(笑)」。そしていよいよ作品展が始まってみると、予想を上回る盛況ぶりに当の2人もびっくり。「手描きイラストの原画や立体制作物など、いろいろなジャンルの作品を展示しましたね。展示の仕方も自分たちで考えながら、自由にレイアウトしたんですよ」。とエノビさんは懐かしむ。この作品展を機に司さんとエノビさんはいよいよ自信を深め、正式にアートユニットとして活動を開始。2000年には前述の通り、アトリエ「ATORON」を沖縄市の中央パークアヴェニュー近くに開設した。「内装はすべて自分たちで手がけました。天井や壁を取り払って、床を張り替えたりペンキを塗ったり、約8カ月間かけて空間全体を好きなようにリメイクしました」というように、事務所そのものが2人の作品になっている。
大胆な発想と着実な一歩。アニメーションの分野にも進出
時に大胆な発想と行動力で、周囲をアッと驚かせながらも、司さんもエノビさんも実際の仕事ぶりはとても堅実だ。彼らがこれまで手がけてきた数々の作品は、アーティストとしての実力の証であり、同時に多くのクライアント(依頼主)から獲得した信頼の証でもある。クリエイティブな仕事といえども、ビジネスである以上、そこには依頼する側・される側という関係があり、「依頼される側」は「依頼主」の要望をくみ取りつつ、自らが得意とする表現方法でいかに多くの人の共感を呼べるかが勝負になる。もちろん中にはATORONの画才にほれ込み、絵画の巨匠のパトロンのように「何でも自由に制作して構わない」というケースもあるだろうが、多くの場合はATORONとクライアントの間にいい意味での緊張関係があり、それが商業デザインの世界の醍醐味でもある。そうした過去の作品はATORONのホームページで閲覧できるので、ぜひチェックしてほしい。沖縄市・パルミラ通りの壁画や胡屋十字路交差点の巨大看板、TOWER RECORDS Japan Reggae Festaのポスター、カイナアートフェスタやピースフルラブロックフェスティバルの各種ビジュアル制作など、聞けば「!」と記憶が呼び覚まされるような、名だたる仕事も数多くこなしている。ATORONは2人1組のアートユニットだが、司さんはキャラクターや女性をモチーフにしたデザインを得意とし、エノビさんは躍動感あふれるタッチと配色で描く作画に特徴がある。次々と魔法のように生み出される独創的なデザインは、どこから発想がわいてくるのか不思議でならないが、「日頃から目にしている植物や建物、風景、それから出会った人々など、身近にあるものはすべてヒントになるんですよ」とのことだ。そんな2人の創作熱はとどまることを知らず、いつしか「描いた絵を動かしてみよう」とアニメーションの分野にも進出。2003年にNHK・BS放送の公募番組「デジタル・スタジアム」で、審査員の田中秀幸選・ベストセレクションに選出されたのを皮切りに、フジテレビ「SMAP×SMAP」のアニメーションブリッジ(場面転換のときに使われる数秒間の動画)、MTV「COUNTDOW
N & NEWYEAR 2008」のアニメーションなど、全国の人気テレビ番組での採用も増えてきた。県内ではRBC「おきなわのホームソング」で、「ニーブイカーブイ」「こっころこっころ」「みんな大きな◯」を手がけた実績がある。さらに最近では、街歩きスマホアプリ「DEEP JAPAN 沖縄」の「コザっぴDO!」でアニメーション制作を担当。このアプリは、アニメの世界を通じてコザのまちを案内するという新しいスタイルの観光ガイドで、司さんとエノビさんは登場キャラクターのセリフやナレーションにもチャレンジした。Android版、iPhone版ともに無料でダウンロードできるので、スマホを持っている人はぜひインストールして、2人が描く独特の世界観を身近に感じてみよう。
大人になってもまだ夢の途中。高校時代の勉強は一つもムダにならない
仕事は面白い。いろいろな人との出会いは刺激になり、時に予想も想像も付かない経験を重ねることで、人生はより豊かになる。エノビさんは最近の印象深い仕事として、沖縄市立美里小学校で手がけたサイン壁画を挙げる。「校舎の新増築に伴い、壁一面にイラストを描きました。建築現場には私たちだけではなく、大工さんをはじめ左官の職人さんや電気・水道工事の方など、いろいろな業者の方が頻繁に出入りしていました。だから一日の始まりは、工程会議からスタートするんです。ちゃんとヘルメットをかぶって、他の職人さんと一緒に現場監督のもとに集合(笑)。それから昼休みには、毎日現場へ売りに来る弁当屋さんに買いに行って、工事現場で広げて食べたり。普段パソコンに向かって作業しているだけでは絶対に味わえない、貴重な経験でした」。このサイン壁画は3年間に及ぶプロジェクトで、2014年2月に完成。教室をはじめ階段やアトリウムの壁面、ガラス、防火戸、プールなど、学校内の至る所に約20カ所のサインを制作した。こんな思い出もある。かつてATORONでは、人気ロックバンドORANGE RANGEのインディーズ時代のアルバム「オレンジボール」のCDジャケットを制作した。「僕らの事務所にメンバー全員が集まって、いろいろな話をしました。最後に、僕のほうが年長ということもあり、“大変な世界だと思うけど、がんばれよ”と先輩として送り出したのですが、アッという間に彼らのほうが有名になってしまって(笑)。がんばれよ、なんて言ってる場合じゃないですよね」。と司さんは苦笑交じりに振り返る。人生は面白い。
最後に、ATORONのお2人から高校生へのメッセージをお願いした
「興味がない分野でも、勉強はいくらでもしておいたほうがいい。将来の仕事に直接結びつかないとしても、ものを考えるときの幅が広がる」と司さんはしみじみという。さらに「働くことはいつでもできるけど、思う存分勉強できるのは学生時代だけ。物事を吸収する力も、大人になってからとは比べものにならない」。そして、夢をもつことの大切さについても語ってくれた。「僕らもまだ夢の途中にいる。夢をもつことが仕事に取り組む上での活力になり、諦めずにチャレンジを重ねることで、次の新しい道が開けてくる」。常に新しいものを生み出し、世に問い続ける先輩からの貴重な言葉として、心に留めておきたい。
Catch the dream Interview ATORON Creative Entertainment
Profile
友寄 司
1975年沖縄市出身。主にキャラクターや女性をモチーフとした作風を得意とする。
また、アニメーションでは独特の世界観が高く評価され、現在はイラストのみならず、アートディレクションまで幅広く手掛ける。
ATORON Creative Entertainment
アトロン クリエイティブ エンターテインメント
沖縄市出身の友寄司とうるま市出身のエノビ☆ケイコの2人で結成するアートユニット。
1997年に浦添市美術館で開いた作品展を機に、「自由創作表現者」のユニット名で本格的に活動を開始。
2000年に沖縄市中央に事務所を構え、2010年に現在の社名に改称。
イラストレーションを軸に、キャラクターデザイン、アニメーション、テレビ番組やCM、広告、ロゴデザイン、映像コンテンツ、壁画など、幅広いフィールドでビジュアル制作を手がける。
最近では巨大アート看板「WELCOME TO KOZA 琉装ガール」が沖縄市の胡屋十字路交差点に誕生。
県内の至る所でATORONワールドがジワジワと増殖中だ。
information
ATORONがアニメーションを制作!ディープな街歩きスマホアプリ
DEEP JAPAN 沖縄『コザっぴDO!』好評リリース中!
地元クリエイターが手がける面白アニメを通じて、全国各地のディープな街歩き情報や穴場スポットを紹介する観光ガイドアプリ「DEEP JAPAN」。
第1弾の富山編に続き、第2弾として登場した沖縄編では、ATORONの2人が制作を担当。主人公のタックヮイ、ムックヮイのでこぼこコンビが、コザのまちを舞台に地元ネタ満載のユニークなドラマを繰り広げる。
知る人ぞ知るニッチなスポットの紹介はもちろん、ポイントを押さえた背景の細やかな描写もツボにはまりそう!
2014年9月現在、第5話まで公開中。このあとのストーリー展開も見逃せない!
vol.1 笑ってゆるして
vol.2 青い鳥
vol.3 牛とロック
vol.4 コザレース大会・前編
vol.5 コザレース大会・後編
[Android・iPhone対応]
ダウンロード無料
「DEEP JAPAN」で検索!
Catch the Dream 2014.10