宮國 由紀江 薬膳琉花 代表講師・栄養士・琉球薬膳料理研究家・国際中医薬膳師・沖縄県知事承認琉球料理伝承人。

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勉強嫌いだった少女から琉球料理伝承人へ
全国を飛び回り食の大切さ伝える

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Interview

ファストフードやコンビニエンスストア、冷凍食品の消費拡大の一方で、
食の大切さがあらためて見直されている。
薬膳料理の専門家としてうるま市で薬膳教室「薬膳琉花」を主宰し、
県外・海外でも講演、書籍出版などを通して幅広い世代に
薬膳料理や琉球料理の魅力を伝える宮國由紀江さんに話を聞いた。
音楽という共通の「好き」が引き寄せた「運命の出会い」。
大好きな仲間たちと走り続けた21年間。かけがえのない高校生活を送る若者にHYが伝えたいこととは?

家にひとりでいることが多かった少女時代

―仕事内容を教えてください
国際中医薬膳師として薬膳を広めながら、琉球料理伝承人としては料理人の減少により存在危機に瀕している琉球料理を存続させるための活動をしています。
2008年に設立した薬膳教室「薬膳琉花」では下は小学生から上は80代まで幅広い年齢層の方が薬膳を学んでいて、これまでに多くの方が資格取得や店舗オープンといった目標を実現させています。

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―小学生も薬膳を学んでいるのですね
薬膳というと古いものや難しいものというイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際はとても身近なものです。『食べ物は薬』という考えのもと、食材の効果・効能をうまく組み合わせて調理することで、体調をよくしたり悩みを改善したりという目的をかなえます。たとえば、トマトひとつ取っても、リコピンやビタミン、ベータカロテンといった成分が含まれていることを知り、どのような調理法を選ぶかによって、体に与える影響が大きく変わってきます。栄養士や料理人の方だけでなく、モデルや俳優、主婦の方までいろんな方が関心を持って教室に通ってくれています。

―薬膳教室を始める以前はなにを?
もともと栄養士で、病院に勤務していました。大学を卒業してすぐに仕事を始め、患者さんと接していくなかで多くの学びがありました。病院での仕事は過酷ではありましたけどとても充実していて、ずっと働き続けたいという思いもあったのですが、食と健康をもっと突き詰めたいと一念発起して独立しました。

―昔から食に関心があったのですか?
栄養士をめざしたのは中学生のころです。親が忙しくて、自宅にだれもいないことが多くて、遅い時間まで外を出歩くことも多く、あまり真面目なタイプの子じゃなかったと思います。でも、親が用意してくれた食事を食べたり、友達と外食したり、食べているときは気持ちが落ち着くというか、幸せになれると小さいころから感じていました。それで、食に関わる仕事に就きたいと思うようになったんです。

―料理人ではなく栄養士だったんですね
少年院で働いて、子どもたちに食事を作るのが夢だったんです。非行に走る子どもの多くは家庭の味を知らなかったり出来合いのものばかり食べていたりと食事に問題があると聞いて。うちの親も家を空けることは多かったですが、食事の時間には必ず家に戻っておいしい料理を作ってくれました。食べ物の記憶ってすごく頭に残ると思うんです。楽しかった思い出、嫌いだった野菜……そういう記憶を作ってあげたかったんです。

家食の専門家をめざし県外の大学へ進学

―栄養学を学ぶために選んだ進路は?
香川県にある瀬戸内短期大学の食物栄養学科に進みました。たまたま知り合いの先生がいたことと、先輩に沖縄出身の人が多かったことから進学先を決めました。学校案内を聞いて印象がよかったこともあります。短大を選んだのは、なるべく早く社会に出たかったからです。2年間学んで、病院に就職して11年間勤めました。

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―病院勤務の思い出は?
上司や同僚に恵まれたこともあって、病院での11年間は楽しい思い出ばかりです。仕事に就いてから学んだこともとても多かったです。主に病院食の献立作成や栄養指導を担当していたんですが、患者さんに食事を提供する際に「おいしかったよ」とか「元気になったよ」とか声をかけていただくと、うれしい気持ちになれましたね。お年寄りや末期がん患者は病院の食事が口に合わず食が進まないという方もいましたが、そういう方のために、自宅から使い慣れた食器を持ってきてもらったり、食事の時間をずらしたりと一人ひとりに合った工夫をするのも楽しかったです。

―入院患者の食事も大切なケアのひとつですね
余命宣告を受けた患者さんでも、おいしいものを食べて少しずつ元気になっていくこともあって、そんな姿をすぐ近くで見守ることができたのはありがたい経験だと思っています。病院での経験を通じて、あらためて『食は天職』と信じられるようになりました。そのうち、通常業務だけではもの足りなくなってしまって、同じ地区の病院の職員を集めた勉強会や発表会を企画したり、県外での講演会に参加したりと病院を超えた活動も始めるようになりました。学会はもちろんありましたけど、職員が気軽に情報交換できる場がほしくて、いろんな企画を考えて実行しました。自分がスピーチや発表することもあったし、案外目立ちたがり屋だったのかもしれません(笑)。

―薬膳に関心を持ったのも病院での仕事がきっかけですか?
自由に動いているように見えても、やっぱり病院っていろんな制約があって、患者さんの希望や自分がやりたいことをすべて実現できるわけではないんです。そこにもどかしさのようなものはありましたね。そんななか、高齢の患者さんとの会話で「喘息だからアヒル汁を食べたい」とか、大学でも習っていないような話が出てきて気になっていたんです。当時は単なる言い伝えのようなものだと思っていたのですが、東京で薬膳の講座を聴いたとき、まったく同じような内容だったので驚きました。沖縄では昔から薬の代わりのように食材が使われていて、驚いたことに栄養学としても理にかなっていたんです。『食は薬』という沖縄の文化をもっと学びたいと思いました。薬膳は楽しみながら学ぶというスタンスで、現代栄養学よりもわたしに合っていると感じたので、東京で薬膳の勉強を続け資格を取得しました。

―薬膳の魅力とは?
「病院をやめたあと、退院した患者さん向けの治療食・介護食配食サービスを立ち上げました。病院勤務のときにはできなかったより一人ひとりに寄り添った食事づくりがしたかったのですが、実際にはそれぞれの体調をしっかり把握することは難しくて、限界を感じていました。数字を見なくても体の状態や必要な栄養分がわかるものはないかと考え、薬膳にいきつきました。

失われつつある長寿の島沖縄の伝統的食文化

―琉球料理伝承人とは
わたしが持つ資格のひとつに『琉球料理伝承人』というものがあります。琉球料理の歴史や文化を次世代に継承するために沖縄県で認証されています。伝統的な琉球料理の存在を知っていても、食べたことがない、作り方がわからないという方が増えてきていますよね。長寿県ランキングでも沖縄の順位は下がってきていて、県民の健康が危ぶまれているなかで、古き良き食文化を見直そうという動きが活発になってきています。郷土料理は若者に敬遠されがちですけど、食べるとほっとする大事なものです。わたしたちの世代が子どもたちに伝えていくことが大事だと思っています。

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―食文化は土地の魅力のひとつでもありますよね
先日、アメリカのメディアの取材を受けたのですが、沖縄のことがまったく知られていなくてショックでした。彼らにとっては沖縄料理は日本料理のひとつでしかなかったんです。長い歴史を持つ琉球料理の魅力を知ることで沖縄にも興味を持っていただけるんじゃないかと思います。国内だけでなく海外へのプロモーションも大事になってきますね。琉球料理は日本遺産に登録されていますが、世界遺産登録も夢ではないと思っています。

―琉球料理の講座もありますか?
琉球の食医学書「御膳本尊」にもとづいた琉球料理の講座も行っています。琉球王朝時代から現代まで伝えられている書物で、とてもおもしろいんです。沖縄で独自に発展した薬膳の考え方を学べる本ですが昔のものなのですこし難しく、若い人たちにもわかりやすいよう編集した書籍の制作も進めているところです。食医学書が家庭に一冊あるような、そんな沖縄にしていきたいです。もちろんひとりでできることではないので、行政や民間企業、団体が力を合わせて取り組む必要がありますね

食や栄養学の道をめざす人たちへ

―同じように食の道へ進むことを考えている後輩へアドバイスを
栄養士の仕事は下積みがたいへんだというイメージがあります。実際に厨房での仕事はハードですし、時間も不安定になりがちですが、とてもやりがいのある仕事です。資格を持っていればいろいろな仕事に活かせることもありますし、近頃は食に対する考え方も少しずつ変わってきて、食に関わる仕事をめざす人も増えていると聞きます。苦労があっても負けずにがんばってほしいです。

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―ご自身は下積み時代をどう乗り切ったのですか?
わたし自身も何度も挫折を経験しました。何度も退職届を出しましたが、栄養課の上司やナース、メディカルの方々がそのたびにサポートして応援してくれました。病院で働けた11年間は本当に貴重な経験でした。

―仕事の上で大切にしていることは?
亡くなった祖母の言葉ですが『知識や経験を積むことで自意識過剰になってはいけない』と顔を合わせるたびにいわれていました。商売をしていた祖母はいちばんの応援者で、103歳で亡くなるまでいつもわたしのことを気にしてくれていました。『人にやさしく』、『ほかの人以上にがんばる』といった祖母にいわれていた言葉は、わたしの子どもたちにも伝えています。

―疲れたときのリフレッシュ法があれば教えてください
音楽を聴いてワインを飲んでのんびりすることですかね。一日の目標というか、夜の時間のためにがんばれる感じです。あとは、ケーキを焼いたりパッチワークをしたりして現実逃避します。現実逃避が目的なので、そのときは栄養のことはあまり深く考えません(笑)。家庭ではあまり仕事の話はせず、友達ともほとんど話題にしません。どこかで線を引かないと疲れてしまうので。家族や友達からは本当に講演なんてできるのかと思われているかもしれません(笑)。

―読者へメッセージをお願いします
食はすべての源。おいしいものを食べると幸せな気持ちになれますよね。わたしの原点でもあります。もちろん、食に限らず、旅行に行くとかショッピングするとかそういう時間のために楽しみながら仕事をするというのがわたしの考えです。やりたいことをするために働かないといけない。そのためには楽しみながら働く。楽しく取り組めることを見つけること。もしまだ見つけられていなかったら、まずは自分がなにをしたいのか、なにが好きなのか、なにができるのか、いろんなものを見たり体験しながら探していくのがいいんじゃないかなと。旅に出たりテレビを見たり音楽を聴いたり、やり方はなんでもいいと思います。大人になってから探すのではなく、今から探すようにしてみてください。きっと道は拓けます!

Profile

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宮國 由紀江
薬膳琉花 代表講師・栄養士・琉球薬膳料理研究家・国際中医薬膳師・沖縄県知事承認琉球料理伝承人。総合病院に11年間栄養士として勤務し、その後独立。宅配弁当治療食専門店を開業。薬膳料理を通して中国伝統医学を学ぶ。「食べ物はクスイムン」の原点となる、琉球の食医学書「御膳本草」に出会い、琉球の食文化に中国伝統医学が深く関わっていることを知る。その後、薬膳教室を開業。薬膳初級講座(日本中医食養学会認定校)の講師を務め、現在は健康と美容をテーマに、沖縄に根ざした薬膳の考え方と御膳本草の研究と伝承に努めている。

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薬膳琉花 YAKUZEN RYU-KA
琉球に伝わる古き良き伝統を継承しながら沖縄の食材を用いた琉球薬膳食を提案しつつ、新しい価値を生みだし、人間本来の健康と美しさを引き出す「薬・美食同源」を実践・伝承していくことを理念として活動中。著書「からだの調子を整える美味しい琉球薬膳食」「薬膳でメンテ」が人気。
https://www.y-ryuka.com/index.php

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