「声優」新垣 樽助

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「正統派」から「悪役」まで… 変幻自在の声で、
人々を魅了する声優 新垣 樽助

Interview

アニメ「テニスの王子様」の木手永四郎役をはじめ、海外ドラマや映画の吹き替え、
さらには歌手と、活躍の場を広げる声優・新垣樽助。
芸名の元となった「樽助おじぃ」の話、声優までの長くて険しい道のり…
幼少期から現在に至るまで、彼を形成してきたバックグラウンドに迫る。

破天荒だった幼少期から声優を目指すきっかけまで

今回、かりゆしウェアで登場してくれた、久米島出身の新垣樽助さん。
笑顔が似合い、物腰の柔らかいウチナーニーセー(沖縄の青年)といった印象だ。しかし、彼の半生を追っていくうちに、幼少時代は手もつけられないほど破天荒な(!)性格だったことがわかった。
「幼すぎてあまり記憶はなく、大人たちからも多くは語られていないのですが…(笑)。物は壊すし、保育所は逃げ出すし…とても自由奔放に過ごしていたようです。それで、保育所を出入り禁止になったんですよ(笑)。父が気を遣って、毎日ドライブに連れて行ってくれて。童謡や流行の歌を歌いながら島を一周していた思い出があります。他の園児には申し訳ないことをしたのかもしれませんが、父との時間はいい思い出として記憶に残っています」
現在、声優として活躍する新垣さん。幼い頃からテレビ好きだったのか聞いてみると…
「のめり込むほど、テレビが大好きというわけではなかったですね。小さい頃はロボットものや戦隊もの、思春期は歌番組、高校生くらいから映画を見て…という具合で、王道を走っていました。中学生くらいで『テレビの絵には人が声を当てているんだ』というのは理屈としてわかったのですが、職業として独立しているとまでは知らなかったですし、そんなに興味が強い方ではなかったです」
新垣さんが声優という職業に興味を持ち出したのは、予備校に通っていたときに、たまたまコンビニで見かけたオーディション雑誌がきっかけだったという。
「大学受験に失敗して、のんびり久米島で浪人生をしようと思っていたのですが、兄のいた埼玉に強制送還されました(笑)。親には『お前は友達と遊ぶから、缶詰めで勉強しろ!』と言われて。兄の家の斜め向かいが予備校だったので、近距離を往復する毎日。予備校の1階にコンビニがあり、そこで立ち読みしたオーディション雑誌を通して、声優という職業に興味を持ちました。アテレコはもちろん、舞台や歌など、幅広いジャンルのことができるとあったので、『好きなことが全部できるじゃん!』という軽い気持ちで目指すようになりました」

自分で見つけた初めての「やりたいこと」だから何としてでも叶えてやろうと思った

周囲の猛反対を受けながらも決心したことは曲げなかった

声優になるという夢を見つけたものの、その道のりは決して楽ではなかったそうだ。親に話したところ、理解されずに猛反対され、親戚が入れ替わり立ち替わりでやめるように説得される日々…。そんな逆境のなか、彼を支えたのは何だったのだろうか?
「受験が嫌になって、現実逃避していると思われたんでしょうけれど、決してそうではなかった。ただ、目指すべきところが見つかったのが嬉しくて、親に伝えたくて仕方なかっただけなんですけどね(笑)。初めて自分からなりたいと思えることができたので、反対されてもその考えを曲げることはしませんでした」
その後、大学に無事入学した新垣さん。覚悟を見せつけるために、勉強は手を抜かず、単位を落とさずに卒業することを決意したという。
「遊んでいたら、『やっぱりその程度の覚悟だったんだ』と言われてしまいそうなので、意固地になって頑張りました。アルバイトをしてお金を貯めて、大学2年生のときから1年制の声優の専門学校に通いはじめました」
学生としての本文をまっとうしながら、アルバイトをして、専門学校に通う…。これは、決して容易ではなかったはず。それでも専門学校を卒業すれば声優になれるものだと思って踏ん張っていたそう。でも、実は声優までの道のりはまだまだ長かった。事務所の公開オーディションに受かった人材だけが、養成所の特待生として授業を受けられるという次のステップに進まなくてはならないのだとか。
「なんとか事務所のオーディションには合格したのですが、『いつまでに授業料を払ってください』という連絡がきたときは冷や汗ものでした。『あ、考えてなかった!』って(笑)。アルバイトしたお金は生活費と専門学校の授業料に使っていたので、養成所に通うお金がなくて。親に相談したところ、クレジットカード会社でローンを組むという選択肢があることがわかったので、しどろもどろになりながら、カード会社に連絡をしました」
なんとかローンを組めるところまで漕ぎ着けたが、それでも期日までには間に合わない。事務所に電話をして振込を待ってもらうことに。「そのときは、『こいつはやる気がないんじゃないか』という声もあったそうです。でも、今の社長が当時チーフマネージャーで、『1週間だけ待ってあげる。大人の約束よ、できる?』と言ってチャンスをくれました」
学生だった手前、「授業に出ていればいい」、「大人は守ってくれる」と、受け身の姿勢だったと話す新垣さん。
このときひとりの大人として扱われ、誰も守ってくれない局面に立たされたことで、自分で切り開かなくてはならないという意識が強くなったという。

大学時代は、専門学校とアルバイトとの並立で、多忙な毎日を送っていた新垣さん。「大学の授業を受けて、声優のレッスンを受けて、深夜のコンビニでアルバイト。そのときの頑張りがあったから、自分はここまで出来るんだという自信がつきました」

大きな転機となった「テニスの王子様」との出会い

声優として第一歩を踏み出したが、もちろん最初は華やかではなく、名前のない役ばかりの下積み時代もあった。
「初めての仕事は、海外ドラマの刑務所の看守役でした。葉巻を吸って咳をするだけしか出番はないのですが、マイクに息がかかってしまいNG。大御所の声優陣を前に、収録を止めさせてしまってタジタジでしたね」
そこからコツコツと経験を重ね、あるときチャンスが舞い降りることになる。アニメ「テニスの王子様」の木手永四郎役との出会いだ。「木手永四郎は沖縄の比嘉中テニス部の部長で、『殺し屋』の異名を持つ、いわば悪役です。ラケットで対戦相手に砂や石をぶつけるわ、コーチにわざとボールをぶつけるわ…手のつけられない中学生ですね(笑)。本編ではまったく方言がなく、淡々とした口調なのですが、演出の方に相談してウチナーグチを使わせてもらうことになって。それまでは、方言を出すことってタブー視されていたところがあったんですが、ここで初めて本場の訛りを出しました。これが意外と好評で、監督にもお褒めの言葉をいただけたし、木手役でCDデビューも果たしました」
これも、「沖縄が繋いでくれた縁だ」と語る新垣さん。この作品は、彼の出世作となった。

「声優である前に俳優である」声優とは、絵に合わせて芝居をする演者。
周りとコラボレーションして互いに試行錯誤しながらものを作っていく楽しさがある。

インタビュー中の新垣さんはコロコロと表情を変え、とても感受性の豊かな人だということが伝わってきた。
真剣な顔も、笑顔も、ひょうきんな顔も、ときには怒っている顔だって、泣き顔だって、すべて彼の一部。
「役をいただいたときには、台本を見て、登場人物の性格や心情を読み取るようにしています。そうすると、おのずとセリフの中で強く言いたくなる言葉がわかってくるんです」

“新垣樽助”という芸名に込められた亡き祖父への思い

ところで、「新垣樽助」というのは本名ではないらしいのだ。この芸名の由来とは?
「樽助というのは、祖父の名前です。自分が生まれたときにはすでに亡くなっていたので、遺影でしか見たことがありません」樽助おじぃは、新垣さんにとってのヒーローなのだという。
こんなエピソードを教えてくれた。「島の人に、『樽助にそっくりだ』とか、『樽助さんはいいおじぃだったよー』っていつも言われていたんです。でも、樽助という人を知らなくて、『こんなにみんなから慕われて、僕に似ているらしい樽助って…誰?』と思っていました。というのも、祖父は樽助という名前から義夫という名前に改名をしていたんです。僕の父以外は女兄弟ばかりの家庭で、先生に『樽助』と呼ばれていたのが恥ずかしいと、女の子みんなに抗議されたのだそうです。それで改名したと(笑)」
もしかしたら自分はうちの子じゃないのでは?と、なかなか真相を聞けなかったそうだが、中学生のときに解決することになる。意を決しておばぁに聞いてみたところ、おじぃの遺影を指して「あれさ」と言われた。このときに改名の背景も知り、「せっかくいい名前なのにもったいない」と感じたそうだ。そこで、声優になるとき芸名として使わせてもらうことにしたのだとか。「樽助という名前は覚えてもらえるし、『樽ちゃん』と呼んで親しんでもらえるんです。この名前に助けられているし、おじぃの名前を借りているから結果を出さなくては、とも思います」

目の前の仕事を真剣にやりながらいい作品に出会っていきたい

声優としても、歌手としても活躍する新垣さん。これから挑戦したい役や、活動の舞台を広げるなど、具体的なビジョンはあるのだろうか?
「何をやりたい、というよりも、何でも挑戦したいと思っています。目指したきっかけになったように、声優は枠組みがなくて何でもできる。目の前の仕事を真剣にやっていきながら、歌でも映画でもアニメでも、いい作品に出会っていきたいですね。自分が楽しんで、周りにも楽しんでもらえるようでありたいと思っています」
まだ公に発表されていないが、主役の仕事も控えているという。声優・新垣樽助さんのこれからの活躍に期待したい。

障害があっても進みたい道を見つけてほしい

最後に、沖縄の高校生に向けて、新垣さんからエールの言葉をもらった。
「自分の目指すものを見つけたら、根拠がなくても自信満々に、勇気を出して踏み出してほしいと思います。夢を叶えられない人の方が多いかもしれない。でも、そこに燃やした情熱は必ず自分の糧になるはずです。特別な目標じゃなくてもいいし、必ずしも職業じゃなくてもいい。大学に行こうとか、バンドをやろうとか、障害があっても熱意をぶつけられるものが見つかった人ほど、たくさんの良いものを生み出すことができると思うんです」そして、「自分の夢を人に笑われることを怖れず、打ち込めることを見つけたら、とことんやってほしい」と続けた。「もちろん、やりたいことがなかなか見つからない人もいるかもしれない。それに焦る必要はないんです。でも、見つける努力はやめないでほしい。自分にも何かあるはずだ、と。僕もたまたま見た雑誌がきっかけですから(笑)」親に猛反対されながらも、自力で夢を叶えた経験を生かし、「物事を決めることの責任」についても話してくれた。「何かを決めるときには、必ず責任が生じてくるもの。金銭的にもそうだし、判断したことも自分の責任です。夢を現実から目を背けるための『逃げ』にしないようにしてほしい。『大学に行きたくないから、声優になろう』とか、楽な方へ楽な方へいってないか、常に自分を問いつめるようにしながら、真っ正面から夢と向き合っていってください!」

Profile

新垣 樽助 Tarusuke Shingaki
声優 1976年6月生まれ。沖縄県、久米島出身。東京都在住。マウスプロモーション所属。
亡き祖父の旧名樽助を芸名とした。
代表作に「テニスの王子様」の木手永四郎役があり、木手役でCDデビューも果たす。

活動履歴

2005年 トランスフォーマー・ギャラクシーフォース(バックパック)
ガンパレード・オーケストラ(永野英太郎)
LOST(ジン)
2006年 テニスの王子様OVA全国大会編(木手永四郎)
少年陰陽師(安倍吉昌)
2007年 おおきく振りかぶって(松永雅也)
2008年 ヴァンパイア騎士Guilty(玖蘭李土)
2009年 フレッシュプリキュア!(知念大輔)
獣の奏者エリン(カイル)
2010年 いちばんうしろの大魔王(大和望一郎)
2011年 HAWAII FIVE-O(チン)
Fate/Zero(間桐雁夜)
2012年 戦火の馬(アルバート・ナラコット)
2012年 新テニスの王子様(木手永四郎)
2012年 エリアの騎士(佐伯祐介)

「テニスの王子様」で声を担当している木手永四郎役のキャラクターソングで、CDシングル、アルバムをリリース。
一部、新垣さんが作詞・作曲を手がけた作品もある。

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