「カメラマン」 ニライ

「振り返ればいつも僕のそばにはカメラがあった。
カメラの道に進んだのは自然なことかもしれない」

Interview

彼が撮影を担当する現場には、いつも笑顔が溢れている。
カメラを通して被写体はもちろん、現場のスタッフをもハッピーにする
彼の魅力はどうやって培われてきたのだろうか。
「僕はまだまだ夢の途中」。そう話すニライさんにカメラマンとしてのルーツや未来について話を聞いた。

自分の道を模索していた10代の頃から、いつも自分の好奇心に正直に従ってきた

「いざ自分の話をしようとすると何を話していいかわからないですね(笑)」。そんな一言から始まったインタビュー。
今回取材したのは東京を中心にファッションやアーティストの撮影を行うカメラマンのニライさんだ。本誌の学生取材では毎号全国キャラバンに同行し、県外で頑張るうちなーんちゅを撮り続けている。沖縄の高校を卒業後、ミュージシャンを志して福岡へ。そこから彼のカメラマン人生は始まっていた。「高校生の頃、友人と3人でバンドを組んでいました。高校3年の進路選択のときには大学進学も考えましたが『自分の好きな道を極めたい』と思って、ミュージシャンになるためにバンドを組んでいた仲間と福岡に出たんです。その当時は沖縄が嫌いで、早く沖縄を出たいという反骨心みたいなものもありました」。働きながらストリートで演奏を行う毎日。全く知らない土地で刺激や楽しさもあったが、半年を過ぎたころからそんな生活に対して違和感を持ち始めたという。「音楽は大好きだけど、実は演奏がへたくそだったんです(笑)。そのうえ歌も上手くない。自分には才能がないのかもしれないと感じ始めたていたときに、ストリートの演奏を聴きに来ていたお客さんが仲間に向かって『君は才能があるね』って言ったんです。そのときに僕はどうなんだ、やっぱり自分には才能がなのかと思ってへこみました」。一度は真剣に志した音楽の道だったが、このことをきっかけに別の道を歩むことを考え始めたという。「音楽の次に興味があることが写真と映像でした。僕の父は、若い頃映画監督を目指していて、小さな頃からカメラ機材や素晴らしい写真集をいつも身近に見て過ごしてきたんです。機械をいじるのも大好きで、小学生のときから遠足にはいつもフィルムカメラを持って行っていたし、高校の頃には父の一眼レフカメラを借りて好きなものを撮っていました。“カメラ”は僕の生活に自然に存在していたものだったと思います」。

現在愛用中のカメラ。「写真は撮る人のイマジネーションが写し出されるから、カメラマンにとって人間性を磨く事も大切だと思います」

自分の写真が憧れの雑誌に掲載され、カメラに自分の可能性を感じたあの頃

福岡で新たなる道を模索していたとき、プロのカメラマンへの可能性を感じた出来事が頭をよぎったと話してくれた。「高校2年生のとき、僕が撮影したミュージシャンのライブ写真が沖縄の雑誌『hands』に掲載されたんです。handsは沖縄のミュージシャンやアーティストが紹介されているカルチャー誌。おしゃれでかっこよくて僕たち世代の憧れの雑誌でした。素人投稿のページでしたが、自分が撮影した写真が掲載されているのを見たときはめちゃめちゃ嬉しかったですね。このことも思い出して、どんどんとプロカメラマンになりたいという気持ちが大きくなっていきました」。常に自分の好奇心に正直に行動するニライさん。カメラマンになりたいと決めてからすぐに次の行動に出た。「それまで働いていた職場を辞めて、福岡放送でアシスタントディレクターとして働き始めました。第一線で活躍しているカメラマンのアシスタントをさせてもらって、現場の楽しさを知りましたね。1枚の画を作れなかったらいい映像も撮れないと思って、仕事と並行して大学の講座を受けたり、写真の専門学校に潜り込んで授業を受けたりもしました(笑)。『自分の好きなことを学びたい』という気持ちが半端なく強かったんだと思います。厳しい現場での仕事と写真の勉強、全てが楽しかったですね」。

僕はまだ夢の途中。
観る人の生きる活力になるような写真を残していきたい。

福岡から東京へ。念願のスタジオでアシスタントとして経験を積んだ

福岡放送でアシスタントディレクターとして働いて1年半、ニライさんは次に“東京”を活動の拠点に選んだ。「本格的に映像や写真のことを勉強するなら東京に出なければいけないと思って、東京でカメラマンとして働ける職場を探しました」。そして辿り着いたのは、当時日本で一番厳しいと言われていた写真スタジオだった。「迷いなくすぐにそのスタジオに面接に行きました。でもそのときは東京で住むところも決まっていなくて(笑)。面接をしてくれた方にカメラマンになるには車の免許が必要だから免許を取ること、そして住むところを決めてくること、それをクリアしたらもう一度面接に来なさいと言われました」。沖縄に戻り、すぐに車の免許を取得し再び東京へ。その熱意が伝わり、スタジオ側もニライさんの採用を決めてくれた。「そこからが僕の怒涛のアシスタント時代の始まりでした」。12人のアシスタントと共に早朝からスタジオのセッティングやアシスタント業務をこなし、プライベートでは先輩アシスタントと1日にフィルム何本を撮影できるか競い合う日々。「1日に20~30本は撮影していましたね。量を撮れば上手くなれると思って、ひたすらシャッターを切っていました。新宿で浮浪者の写真を撮るために自分も野宿生活をしたり(笑)。自分が本当に撮りたいものや自分のスタイルを見つけようと必死でした。スタジオでの撮影が終わったら、高価な機材を自由に使わせてもらえたり、厳しい環境でしたが、今から思うと恵まれていたと思います」。その後、フリーのカメラマンのアシスタントとしてグラビアの現場も経験。そのときにアシスタントについたカメラマンから大きな影響を受けたと話してくれた。「カメラの技術面はもちろんですが、被写体とのコミュニケーションの取り方を勉強させてもらいました。『レンズの向こう側に立つな、ファインダー側に居ろ』とよく師匠に言われました。僕は性格的にレンズの前へ出てしまうタイプ(笑)。それは僕の武器でもあるんですが、カメラマンとして大切なのは被写体の魅力を引き出して、その瞬間をカメラに収めることです。そのときに撮影をする職人としての“役割”を叩きこまれたと思います」。

エクアドル、沖縄、東京。どこに居ても自分らしさを大切にすること

多忙なアシスタント時代を経て、25歳で赤道直下の国・エクアドルへ。「丘の上から望む広大な景色や先住民の人の活気、日本にいるときには気づかなかった自然の素晴らしさや人の温かさを感じながら撮影をしたことで、初めてカメラと真っ直ぐに向き合うことができました。3ヶ月で帰国しましたが、あの体験は僕にとって貴重な時間でした」。帰国後は沖縄へ戻ったニライさん。沖縄を離れたかった10代の頃とは全く逆の感情が生まれていることに気づいた。「沖縄が嫌いで別の土地へ行ったのに、一度離れたことで沖縄の良さが見えてどんどんと好きになっていったんです。沖縄のために何かがしたい、還元したい。この想いは年々大きくなっていますね」。しかし、ニライさんの想いとは裏腹に当時は思うように仕事が見つからず、葛藤する日々が続いたという。「東京でカメラマンとしてやってきた自負もあって周りを受け入れていなかったんです。でも沖縄にいる先輩カメラマンの存在を知って、自分のちっぽけなプライドに気づきました。自分が変わらなければ今の環境は変わらない。自分のルーツを大切にして自分らしくいる。このことに気づいてからは仕事も徐々に増えていきました」。生まれ育った沖縄でカメラマンとして、人として大切なことに改めて気づかされたというニライさんは、更なるステップアップを目指して再び拠点を東京に戻すことを決意した。

2011年4月に東京・下北沢で開催された「NIRAI×ECUADOR 写真展~Now at the Happyness~」エクアドル滞在中に撮影した約10点の作品を発表。期間中には多くの友人や観客が訪れた。

最高のパフォーマンスをするために不安要素をひとつひとつ取り除く

東京に戻ったニライさんはまた新たなるカメラマンの下で働き始めることになる。「グラビア時代の師匠とは全く真逆で、次にアシスタントに付いたカメラマンは感性で写真を撮る人でした。自分の感覚を信じて撮ることの大切さを知って写真の可能性も感じましたね。職人肌とアーティスティック、両極端のカメラマンの仕事のスタイルを見てきたことで僕のカメラマンとしてのバランスが磨かれたと思います。撮影は自分との戦いでもあります。ロケハンや機材の準備、ギャランティの交渉、体調管理。現場でいいパフォーマンスをするために不安要素は自分でひとつひとつ解消していくことが最高の一枚に繋がるんです。僕の今の目標は、人物でも風景でも被写体の魅力を伝えることに徹底したカメラマンになること。最終的には大自然を撮るカメラマンになることが夢です。今は自分の中でこの想いを温めて、自分の引き出しをもっと増やしたい。観る人の生きる活力になるような写真を撮り続けていきたいと思っています」。

今までニライさんが撮りためた作品が詰まったフォトブック。出版社や制作会社に出向く際にはもちろん持参する。「写真は僕を知ってもらう大切なツールなので、写真ひとつひとつの見せ方にもこだわってブックを作っています。」

出会いが自分の財産になる。人との繋がりを大切にして進んでほしいく

「沖縄の学生さんを撮影させてもらっていて思うことは、家族や友達の存在があって自分が頑張れる環境があるということ。周りの人が自分の能力を引き出してくれてチャンスを与えてくれるんだということです。だから、人ときちんと向き合って、その人との繋がりを大切にしてほしい。学ぶことは人との出会いの機会を与えてくれます。だから自分の好きなことを存分に学んでください。沖縄の高校生の皆さん、いつか僕があなたを撮影する機会が巡ってくるかもしれません。みなさんにお会いできることを楽しみにしています!」

夢実現インタビュー NiRai(カメラマン)

Profile

NiRai ニライ
カメラマン
1980年生まれ。沖縄県北谷町出身。千葉県在住。Juice&Juicy所属。
カメラマンとして、JYJなどの韓流アーティストの撮影やファッション広告のほか、インテリア・フードなど、多岐にわたるジャンルで活躍中。
NiRaiさんの本名・弐裸衣(にらい)は双子の妹(河南衣/かない)と沖縄に伝わる理想郷「ニライカナイ」に由来。
[連絡先]juice & juicy http://www.juiceandjuicy.com/

information

◆ヘアショーにゲストカメラマンとして参加!

約600人が見つめるライブステージで
ヘアスタイリスト、メイク、モデルとコラボレーション!
今年6月に長野県・メルパルクホールで行われたMUGEN PRESENTS~EndlessWind~ は長野県を中心に美容室やネイルサロンを展開するムゲン・プロジェクトカンパニーが主催するこのヘアーショー。
9回目となる今回は「美容を通して笑顔の連鎖を日本へ、そして世界へ!」をテーマに最新のヘアデザインやファッションが披露され、会場には美容師や美容ジャーナル関係者など約600名が詰めかけた。そして、このショーの最終演目フォトステージ「THE LIVE」ではカメラマンのニライさんとヘアスタイリストメイク、モデルがコラボレーションして、撮影現場をステージ上で再現!撮影に対する「想い」表現した。

GO TO SCHOOL 2012.10

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