「スタイリスト」知念 美加子

好きなこと、着たい服、なりたい自分。
服選びも生き方も自分の気持ちに正直でいること。
ファッションもヘアメイクも自分で体現して
「オシャレは自由」—。
そんなシンプルな法則を貫きたい。

Interview

アシスタントを経て、24歳で独立。女性ファッション誌「ViVi」を中心に、日本テレビ系列「ヒルナンデス」などでも活躍するスタイリストの知念美加子さん。『調べれば調べるほど謎が深まった、想像と現実がリンクしなかった』と語るスタイリストという職業を、いかに自分の生業にしたのか。彼女の足跡を辿ると、自分の好きなこと、やりたいことに耳を傾け、その気持ちを大切にする。そんな姿勢が見えてきた。

コーディネートの楽しさを知ったのは、お気に入りの迷彩のスカートがきっかけ

元々洋服が好きで、小学生の頃から自分の着る服は自分で選ぶ子でした。自分がいいと思う服しか着ない、そんな自己主張の強い女の子だったと思います(笑)。洋服のコーディネートの楽しさを知ったのは、小学校1年生の時。友達のお誕生日会に、お気に入りの迷彩のスカートが着て行きたくて、そのスカートにグレーのTシャツを合わせようと思っていたんです。でも、お母さんに黒いTシャツを勧められて、そのスカートに黒のTシャツを合わせてみたら、断然黒のほうが可愛くて。そのときに、色の組み合わせでこんなにも服の印象が変わることを知って、衝撃でした。その頃から色を組み合わせることや服をコーディネートすることが楽しくて、小6の頃は、部活着の1週間のコーディネートを考えていましたね。その時間がとても楽しかったのと、とにかく人とかぶるのが嫌だと思っていたことを覚えています(笑)。

学校の図書館で見つけた「スタイリスト」という職業。

小4の時に「自分が興味のある職業について調べる」という授業があって、学校の図書館で自分で調べて、服をスタイリングするスタイリストという職業があることを知りました。その頃、学校の友達のなかで“ファッションデザイナー”が流行っていて(笑)、みんななりたい職業をデザイナーって書いていました。私もデザイナーに興味はあったけど、やっぱりみんなと一緒は嫌で、デザイナー以外でファッションに関わる仕事を調べたら、スタイリストという職業が出てきたんです。その本にはスタイリストの仕事内容や年収まで載っていて、給料はピンキリって書いてあるし、調べれば調べるほどスタイリストという職業の謎が深まりましたね(笑)。その時は自分の想像と現実がリンクしなくて、興味を持った程度。スタイリストという職業は”夢”で終わっていました。

将来の目標が定まらなかった高校時代。何のために勉強するのかがわからなかった

中学のときはバスケの練習に打ち込みました。厳しい部だったので、週末が唯一オシャレを楽しめる時間で、平日の束縛を週末で一気に開放していましたね(笑)。ファッション誌を読んでは、メイクを勉強して、百均で道具を買ってメイクの練習もしていました。現在「ヘアメイクもファッションの一部」という想いで洋服のスタイリングをさせてもらっていますが、その考えはその頃からあったんだと思います。中学の部活を引退して、高校の進学先を考えないといけない時期になっても、将来の目標がなくて、どこの高校に行くか全く考えていませんでした。だから、選択の幅がある進学校に進むことにしたんです。進学校だったので、入学してみると周りの友達は将来の目標をしっかりと持っている子たちばかり。大学進学希望の友達に囲まれて、夢を持っていない自分にずっと劣等感がありました。そんな焦りからか、歯医者の受付をやっていた姉に影響されて歯科衛生士を目指そうと考えた時期もありました。その時は将来に対する考えがブレブレで、周りに影響されてばかりでしたね。高2になってから本当に自分がしたいことは何か、真剣に将来のことを考えはじめて、やっぱりファッション関係の道に進みたい! と思って、県内の専門学校に見学にも行ったりしていました。お母さんに美容系の専門学校に行きたいと相談したら「専門学校へ行くなら、自分でローンを組んで行きなさい」と言われて。周りは当たり前のように進学するのに、自分は行けない。母の言葉を聞いた時は悔しかったです。でも母は、私の本気度を確認したかったんだと思います。もう一度自分の気持ちに向き合ったとき、自分の中に専門学校に行く固い意思がないと思ったし、親に頼るんじゃなくて、自分が働いて稼いだお金を費やしてでもやりたいことを見つけなければと思いました。だから進学はせずに高校を卒業。専門学校に進学した子たちが就職する20歳までに自分も就職することを決めて、高校卒業後はフリーターになりました。

自分のやりたいことを探すことに集中したフリーター時代

高校卒業後は、ジュエリーショップと香水屋のアルバイトを掛け持ちしていました。アルバイトを探したときの条件は、私服で働けて、髪型やネイルに制限のない職場でした。お金を貯めながら自分のやりたいことを探していた時、バイト先のスタッフが海外のお客様に英語で接客する姿を見て、かっこいい! 英語が話せるようになりたい! と思って、それから海外へ行くことが私の目標になりました。沖縄が大好きで、英語が大の苦手だった私。20歳で就職するというタイムリミットを目前にしても目標が定まらない自分に焦りを感じて、海外へ逃げようという気持ちもあったかもしれません。それから海外へ行くために本格的に貯金を開始して、英会話学校にも通いました。そして、20歳の成人式が終わって、2週間後からオーストラリアへ1年留学。ちなみにオーストラリアを留学先に選んだのは緯度が沖縄と同じだったから(笑)。現地では、人と会話をするための英語を学ぶことが楽しかったし、英語が苦手だった分、理解していく楽しさも味わいました。オーストラリアで小学校英語指導者の資格が取れる学校へ通って、無事に資格を取得。帰国後は沖縄の英会話スクールで教師として働き始めました。子どものクラスをひとつ任されて、生徒たちの成長が間近で見れた時は、英会話教師としてのやりがいを感じましたね。そして英語を教える楽しさを味わっていた22歳の頃、正社員にならないかと声をかけていただきました。その時、今の仕事にやりがいは感じているけど、これが自分が本当にやりたいことなのか、一生続けられるか、もう一度心の声を聞いて自分の気持ちと向き合わなければいけないと思いました。そして私が出した答えは「ファッションの道にチャレンジすること」でした。まだ若いし、やりたいと思っていることをやらずにいるのはもったいない。チャレンジしてダメで戻ってきても遅くはない。まずはやってみようと思ったことがきっかけで東京へ。「ファッション=東京」。沖縄から出たくないと思っていたけど、これを乗り越えないとファッションの世界ではやっていけない。そう思ってゼロからスタイリストになるための活動をはじめました。

自分に嘘は付かず、正直な気持ちを込めて書き上げた履歴書。

東京に来てまず、スタイリストになるにはどうするのかをインターネットで調べることからはじめました。まずはアシスタントにならなければいけないことを知って、いろんなスタイリストのアシスタント募集を調べました。スタイリストアシスタントの募集は不定期なので、募集のタイミングに遭遇することがまず奇跡的なこと。でも、私は自分も好きで愛読していた雑誌「ViVi」で活躍しているスタイリストの募集に巡り合うことができたんです。これは一生の奇跡!絶対にモノにしないといけないと思いました。本気でスタイリストになりたいと思っていることがきちんと伝わるように、今までにないほどの熱い想いを書いた履歴書と、コーディネートを雑誌風にまとめたスタイルシートを郵送。面接にこぎつけて、なんと合格! 面接の1か月後からアシスタント研修がスタートしました。今思い出しても、本当に運が良かったと思うし、自分の気持ちに嘘は付かず、正直な想いを伝えたことが採用に繋がったんだと思います。

辛いことだらけのアシスタント時代。でもそれは、自分の夢に必要なこと。

スタイリストの仕事は、テレビや雑誌の撮影に向けて、打合せをして企画に合った衣装を集めること、モデルとのフィッティングをすること、撮影後に集めた衣装を返却することが主なルーティンです。月によって仕事のスケジュールはバラバラで、撮影日の前後3日間は準備で動いて、それが何本か重なることもあります。アシスタント生活がスタートしてから、全てがはじめての体験でわからないことだらけだし、作業量の多さに、編集部で寝泊まりすることもしばしば。師匠には怒られてばかりで、打ちのめされる日々を送っていました。金銭的にもギリギリの生活をしていましたが、それでも不思議と辞めたいと思ったことはありませんでした。私の目標はスタイリストになること。アシスタントの仕事ができなければ、スタイリストにはなれない。そんな想いで、怒涛のアシスタント時代を過ごしました。面接のときに師匠に言われたアシスタント期限は「2年」。どんなに辛くても2年頑張れば、スタイリストとして独立できる。明確な期限があったこともモチベーションになったかもしれません。アシスタントが2年目に入り、アシスタント期限が残り3か月になった頃。師匠に「そのまま独立して、スタイリストとしてやっていけると思ってるの?」と喝を入れられた事がありました。自分の中では“できる自分”を感じていたので正直驚きました。その時の私は、アシスタントとしての仕事はできていても、スタイリストとしてはまだまだ足りないことだらけ。そこから自分を見つめ直して、仕事中も自分がスタイリストだったらどうするか、師匠のスタイリストとしての仕事ぶりや仕事に向かう姿勢を盗むようにしていきました。師匠の一言でスタイリストになることが私の最終目的ではなく、その先があることを再確認することができたと思います。自分がアシスタントを雇う立場になった今、あの頃なぜ師匠に叱られていたのか、その意味が身に染みてわかるようになりました。

独立してすぐはスケジュールが真っ白…。目の前の仕事を一生懸命するしかなかった。

独立してすぐの頃は、仕事が少なくてこれからやっていけるか不安になるときもありました。だからこそ、目の前の仕事に真剣に取り組むしかなかったし、それを積み重ねていったことで、少しずつ仕事の依頼も増えていきました。編集部の要望や企画意図を汲み取ること、自分のスタイルを表現すること。服をスタイリングする時、そのふたつのバランスがとても重要になってきます。独立してから手さぐりで進んでいましたが、ViViの誌面内で「知念美加子企画」を任されたときに自分の方向性は間違っていない、スタイリストとして認められたんだと実感することができました。撮影の現場ではカメラマンやヘアメイクさんとのチームワークがとても大切です。スタイリストとしての知識や技術はもちろんですが、その人自身の”人間力”みたいなものがとても大切だと思います。

書籍出版とロンドン留学。そして、今後の自分

去年の3月に、自分のファッションに対する考えやコーディネートの作り方をまとめたスタイルブックを発売しました。今年で30歳。自分の中の価値観が変化する時期だと思います。だからこそ、今までの自分を書籍に残しておきたかった。20代の自分をまとめた本だから、30代でも一冊本を作りたいですね。昨年はロンドンへ3か月のファッション留学も経験しました。オーストラリアから帰国後、また絶対海外へ行きたいと思っていましたが、多忙なアシスタント時代に入ってずっと保留にしていて。ロンドン留学の目的は、語学の勉強と作品撮り。この留学で日本の文化の素晴らしさを再確認したし、コーディネートでも今まで組み合わせなかった色や柄を取り入れるようにもなりました。私は今、自分でコーディネートした服を着て、ヘアメイクもして、自分でファッションを体現するという新しいスタイルでスタイリストをやらせてもらっています。こんな風に自由にお仕事ができるのは、師匠の導きや支えてくださった先輩アシスタント、編集部の皆さん、家族や友人のおかげだと思っています。「オシャレは自由」。これからもファッションを軸にいろんな挑戦をしていきたいですし、自分の「好き」や「やりたい」という気持ちはいつも大切にしていたい。そして、みんなに笑われるような目標でも、その目標に少しでも近づくために何ができるかを常に考えて行動する自分でいたい。ちなみに私の最終的な人生の目標は「プール付きの家に住むこと」(笑)。死ぬときに後悔しないように、自分のやりたいことに対してやれることは全てやる。そんな人生をこれからも歩んでいきたいと思います。

沖縄の高校生にメッセージを!

私は沖縄が大好きで、学生の頃は絶対に沖縄を出たくないと思うほどでした(笑)。でも、東京や海外に出たことで沖縄が前よりもっと好きになったし、今も私の心の支えであることは変わりません。嬉しい事に内地の人は沖縄に対して良い印象を持っています。沖縄出身だからこそできることがあります。だから自信を持って自分のやりたい分野に進んでほしいです。沖縄の高校生、頑張れ!

夢インタビュー 知念美加子

Profile

知念 美加子/スタイリスト
Mikako Chinen
1987年那覇市生まれ。2年間のアシスタントを経て2011年、24歳のときにスタイリストとして独立。現在は東京を拠点に、ファッション誌『ViVi』(講談社)のメインスタイリストとして活躍。ファッションショーや人気ファッションブランドの広告やカタログでのスタイリングから、現在では「ヒルナンデス」(日本テレビ) のファッションコーナーにも定期的に出演。沖縄のフリーペーパー「be-O」で連載企画を持つなど、活躍の幅は広がりをみせている。

information

『STYLIST CHINEN MIKAKO
FASHION BOOK』
価格:1,500 円+税(税込1,620 円)
発行元:株式会社セブン & アイ出版
Instagram
https://www.instagram.com/chinenmikako/

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