「フルート演奏家」渡久地 圭

大自然に囲まれたやんばるの森からヨーロッパへ羽ばたく! 自分の感性を頼りに、心の赴くままに音楽とともに歩むフルート奏者・渡久地 圭。 フルートに魅せられ、沖縄・東京・ドイツ・オーストリアと導かれるままフルートとクラシック音楽に人生を捧げ 『第47回全日本学生音楽コンクール福岡大会』第1位、『おきでんシュガーホール』新人演奏会出演。 演奏家として研鑽を積みながら、沖縄を拠点に「クラシックの在り方」を伝える渡久地にクラシック音楽から見える「人生の楽しさ」を尋ねてみた。

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Interview

レコードをかけながら空を眺めて「ここではないどこかと繋がっていた」という少年時代。 フルートとの出会いから、自分の「好き」と真正面に向き合って世界へ飛び出して音楽を学ぶ。 長きに渡る海外生活を経て、沖縄を拠点に渡久地が仕掛ける「沖縄の芸術の在り方」とは?

人生を捧げることになった音楽との出会い

フルート演奏家であり、BüroDunk(ビューローダンケ)主催の渡久地圭(以下渡久地)。幼い頃は「『ピアノを習ってみたい』という気持ちがあった」と語る。そんな思いが芽生えた頃に、教師である両親の仕事の都合で、本部町から離島の伊平屋島へ移住。島の教員住宅にあったオルガンを遊び感覚で弾き始めた。2年間の赴任を終えて本島に戻り、念願のピアノを習うことに。幼い頃の渡久地は、両親のレコードコレクションからフレンチ映画のBGMやクラシックボックスを聴きながら、床に寝っ転がって空ばかり見ていた。音楽に耳をかたむけて自然の風景を眺めていると「ここではないどこかと繋がっている」気がして、高揚感を覚えた。

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小学校時代にフルートとのセンセーショナルな出会い。そして産声を上げたブラスバンド

何気なく音楽の教科書のページをめくっていると、あるページで手がとまった。さまざまな楽器の写真が並ぶなかで、ひときわ渡久地の視線を釘付けにしたのがフルートだった。眩いほどの端正なフォルムに「一目惚れ」。以来、寝てもさめてもフルートのことばかり考えるようになる。その頃、渡久地が通っていた学校に「ブラスバンド」ができるという知らせが耳に届く。さっそく参加の意思を伝えようとしたところ、ブラスバンドの構成は金管楽器のみ。木管楽器である「フルートで参加したい」と顧問の先生に相談すると「貸し出しできる楽器にフルートは無いから、独自で購入すれば参加できる」と言われ、早速両親に交渉。ところが、教師である両親は“先生に迷惑をかけてはいけない〟という理由から「トランペットにしなさい」と理不尽な要求をされる。結局、念願叶わずトランペットを吹きながらブラスバンドの1年目が終わった。

トランペットを吹きながらも、フルートへの愛は止まるどころか増すばかり。そこで渡久地が続けていたこととは?

音楽好きの渡久地は、ブラスバンドでトランペットの練習を重ねるも、フルートへの思いは途絶えることは無かった。フルートの構造を研究し、リコーダーを横にして吹いてみるなど「フルート愛」は強まるばかり。そんな姿にようやく両親も折れ、ついに念願のフルートを買ってくれることになる。フルートへの強い思い・諦めない気持ち・楽天的な姿勢が、フルートへと結びつけたのだった。先輩からフルート用の運指表(フルートの指の配置がわかる譜面)を譲り受け、独学で学んでいく。6年生時代にブラ スバンドは県大会で優勝し、九州へ遠征を果たすことになった。中学へ進学後は吹奏楽部に所属。音楽を通じて音と呼吸が共鳴して空気や場を動かすエネルギーを肌で感じ、音楽が与えてくれる「喜び」「楽しさ」といった高揚感に可能性を見いだしていく。自分が目指すロールモデルとしての音楽家はいなかったが、漠然と音楽の道へ進むことをこの頃から意識し始める。

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条件付きで許可された開邦高等学校芸術科コース入学 突き進んだ武蔵野音大進学 そして更になる飛躍のためのドイツへ!

渡久地の人生のなかで、音楽の彩りが豊かになるにつれて、より音楽に特化した学校を目指すようになる。両親にその想いを告げたが、音楽で生計を立てることを許してはもらえなかった。その頃、教師だった渡久地の母が偶然にも渡久地の通う中学へ赴任し、学校生活における渡久地の音楽三昧を目の当たりにする。日頃から「子育ては実験」と豪語する母親。「ここまで音楽が好きなら思い通りにさせてあげてもいいのでは」と心が傾いていく。同じく教師だった父は、母の思いと息子の真摯な音楽への態度を受け入れざるを得なくなり「教員免許の取得」を条件に開邦高校芸術科音楽コース、音大への受験を承諾。そこから、受験に対応したピアノやソルフェージュ(音感教育)のレッスンに取り組み、見事推薦入学を果たす。高校時代にフルート演奏で全日本学生音楽コンクール全 国大会に出場し世界が広がって行くのを感じた渡久地。さらにフルートを深く学ぶために県外への進学を目指し、武蔵野音楽大学へ進学する。そこで初めて、人生の壁にぶつかることになった。

「出したい音が出せない」大きな壁にぶつかった大学時代 意外な音楽との出会いから自分の軸が クラシックであることを再認識そして渡久地が選んだ進路は……

音大でフルートの練習を重ねて行くうちに「出したい音が出せない」という長いトンネルに迷い込んでしまった渡久地。出口のない迷路の中で練習を続けていた。そんな時、東京でクラシック以外の音楽に出会う。それは、意外にも自分のルーツである「沖縄」の音楽だった。懐かしい音色に魅了され、そこからワールドミュージックの世界へと幅を広げていった。「沖縄に帰省すると入り浸っていた本部のカフェには三線があって、皿洗いのおかみさんが合わせて歌を入れていくんですよ。ローカルに根づく音楽の完成度の高さに感銘をうけて、自分もフルートで参加できないかとセッションをしたんです。でも〝チンダミ〟が思うように合わなかった。僕が合わせられなかったんです。そこで、僕のベースにあるクラシック音楽をもっと確立させないと、と思いましたね。」と当時を振り返る。出口のない課題から一旦離れてルーツの音楽に触れることで、あらためて自分の軸はクラシックにあると再確認する。壁を乗り越えて、さらなる学びを追求するために、クラシック音楽の聖地・ヨーロッパへの留学を決意する。

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留学先を決めずにヨーロッパへ オーストリアから夜行列車に飛び乗り 演奏を聴きに足しげく通った先に、念願の師と出会う

通常ドイツへ音楽留学する場合、まずは現地で師事する先生の情報を集め、大学を決めてから日本で受験ビザを取る。しかしインターネットもない時代、ドイツの大学の情報を得ることが難しかった。はやる気持ちを抑えきれず、渡久地は準備をせずに日本を発つ。出来るだけ長く滞在ができるように、まずは観光ビザで半年間滞在できるオーストリア・ウィーンへ。語学学校に通いつつ、音楽の師を探す日々が始まった。なかなか巡り会えない日々が続くなかで、渡久地は夜行列車に乗ってドイツへと赴く。気になる音楽家の演奏を聴きに足しげく通い、ようやく師となる先生と出会い「デトモルト音楽大学」へ入学を果たした。

フルートを学ぶ旅の終着地・ウィーンへ

留学先でフルートを演奏する・音楽に没頭する・身近にクラシックがあることで「多幸感」「高揚感」を全身に感じていた渡久地だったが、ある時から目の前の景色の色彩が無くなった感覚にとらわれる。卒業後もなにか心に引っかかったままだった。沖縄へ帰国する前に、知人の演奏を聴くため再度ウィーンに立ち寄ることに。そこで偶然、沖縄の友人と出会い語り合うことで、自分がヨーロッパで音楽を学ぶことに満足できていないことを自覚する。すぐに新たな師となるウィーンフィル首席奏者の講習会を見つけて受講を決める。渡久地のヨーロッパ生活はウィーンで始まり、ウィーンで幕を閉じることにった。

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長いヨーロッパ生活を経て渡久地が語る 海外で暮らすということとは?

「自分の場合は、わからないことは「怖い」んじゃなくて「面白い」と捉えるタイプなんです。海外で暮らしてみると言葉も文化も生活様式も全く異なるので、簡単に行かないことが勿論ある。でも『知らなかったことへの出会い』がポジティブに興味をそそられて楽しく過ごせていた。なによりクラシックが生まれた国で暮らせることが幸せだったし。最初の頃は言葉の壁は感じたけど、個人主義で他者を気にしない文化なのでその辺は楽だったかも。とにかく『行ってみないとわからないから行ってみる』ことが大切。チャンスがあることにはトライする。やらなければ何も起こらないですからね」と海外生活を振り返る渡久地。語られない苦労やもどかしさも幾度となく重ねてきたことは想像に容易いが「未知との遭遇」を楽しむ喜びの方が、大きかったのかもしれない。

ヨーロッパでの経験を経て、故郷沖縄で渡久地が目指す未来、沖縄でクラシック音楽の楽しさをシェアするために

クラシック音楽には、どうしても堅苦しいイメージが根強くある。「むずかしさ」を超えた「楽しめるクラシック」の環境づくりができないか。ヨーロッパには市民と芸術が結びつく接点が街の中にいくつも設計されていて、常に芸術が暮らしの中に溶け込んでいる。その都市設計を留学中に目の当たりにした渡久地は、沖縄で暮らしに溶け込む身近なクラシック環境を作るための団体「ビューローダンケ」を2013年に創設する。目指すのは舞台と客席が一つになる「交流の場」を作ること。年間プログラムで定期的にコンサートをオーガナイズし、渡久地が認める演奏家を県外・国外から招き、県民にクラシック音楽の在り方や楽しさをシェアしていく。将来的にはアジアのハブとなる沖縄を拠点に「沖縄国際音楽祭」を開催することを描いている。

演奏家として、プロデューサーとして 新型コロナウイルスから見えてきたもの

音楽は暮らしの中に密着していて、そこから得られる豊かさはみんなが享受しているはず。音楽のない暮らしを想像してほしい。人々の暮らしが殺風景になってしまう。だからこそ、音楽から得られる豊かさを共有する場づくりが必要。動画の良さもあるが、動画では伝わらない大事なものがある。生演奏を聴くということは、音だけでなく呼吸を感じ取る楽しさがある。「集う」という行為は人間だけに与えられた特権で、そこから社会が築かれていく。新型コロナウイルスは「わからない」から「怖い」という気持ちが芽生えるけれど、一旦視点をずらすことで見えてくるものがある。生演奏から得られる喜びをクラシック音楽でシェアしていくことが、渡久地自身が感じる務めなのだろう。

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人生の岐路に立つ学生に向けて 新型コロナウイルスによって 日常生活が困難ななかで どう夢を描き将来を見据えていくか 自身の経験から伝えられること

そんな渡久地が将来の岐路に立つ若者たちに伝えたいことは「前しか見ない」ということ。「人生にはイメージできない問題がたくさん降り注いでくる。それを解決するにはなんでもイメージできる環境を作る必要がある。そこにモチベーションを与えてくれるのが芸術です。若い時にしか感じられないことをどんどん吸収して欲しい」。未知のウイルスの影響で、大人だってあたふたしている今「身近にフォーカスする」ことが大切と渡久地は言う。見るべきものが思いつかなければ音楽を聴いてボーっとする時間を作ってみる。それだけでも自分の内側と対話するきっかけになる。ふだん見落としていた素敵なことがコロナの静寂の中で気がつくこともあるし、気づいたことで自分を客観的にみることができる。そこからフォーカスするものが見えてくる。「興味がある方へ向くと道が拓けていくから、まずは周りを見回してみよう。自分はいつも高揚していたいし、その高揚をいつも周りの友達に語りかけていた。これ から生きるために必要なスキルはクリエイティビティ(創造性)。音楽や芸術にはクリエイティビティを伸ばす力がありますから。」と爽やかな 笑顔で渡久地が若者たちにエールを送った。

渡久地 圭が高校生にオススメするクラシック音楽

プロコフィエフのバレエ音楽
ロミオとジュリエット
シェイクスピアの悲恋の物語。高校生にもわかりやすいストーリーで、悲しい物語につけられた音楽が心をわしづかみにされる。青春真っ只中を生きる世代にしか感じられない何かが、きっとあるはず。

Profile

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渡久地 圭/とぐち けい
フルート演奏家兼プロデューサー。本部町出身。
幼少時代からピアノやフルートなどの楽器に親しみ、やんばるの自然に囲まれた環境で感性を磨く。県立開邦高等学校芸術科音楽コース∼武蔵野音楽大学を卒業後、単独でヨーロッパへ渡りドイツ・デルトモルト音楽大学を卒業。その後、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者に師事。現在は沖縄を拠点にクラシック音楽と市民をつなぐ、室内楽・オーケストラの演奏を企画する「ビューローダンケ」で活動中。

取材協力/南城市文化センター(シュガーホール)

南城市文化センターは、1994年(平成6年)に完成しました。沖縄県唯一のクラシック専用音楽ホールであるシュガーホールを有し、市民の芸術・文化の振興・育成を目的に、芸術・文化の輝きを増す役割を担っています。また、教育・文化の振興をまちづくりの柱に掲げる南城市のシンボルともいえる施設です。

南城市文化センター(シュガーホール)
〒901-1403 沖縄県南城市佐敷字佐敷307番地
☎098-947-1100 開館時間:9時~22時
休館日:毎週月曜日 ※祝祭日の場合は翌火曜日

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