「シンガーソングライター」Anly

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何が好きか、何をしたいか、いつも誰かに話してた
「時間、出会い、想い」を大切に一歩一歩前へ進んでいく

Interview

若干18歳のシンガーソングライターAnlyさん。
今年の3月に高校を卒業し、本格的にライブ活動をスタート、現在県内外で大活躍している。
幼い頃からの夢を最短距離で実現へと着実に歩み続けているAnlyさんから、未来の選択で悩む同世代のみなさんに贈る等身大のメッセージです。

「こうしたい」って答えは出てるけど勇気が出ない……
「こうしなよ」って友達のひとことで、夢へ一歩踏み出せた

2015年3月、沖縄県内の高校を卒業後、シンガーソングライターとして本格的な活動に入ったAnlyさん。基礎を大切にした丁寧なギターワーク、低音から高音までクリアに発声する歌声、そして自身の心に素直な歌詞。彼女がひとたびステージで歌い始めると、音楽のジャンルに関わらず、誰もが足を止める。どこまでも真っすぐでクリアな18歳のシンガーソングライターAnlyさんの夢への足跡を辿るインタビュー。幼い頃からの夢を最短距離で実現へと着実に歩み続ける、その秘訣に迫った。

生まれたときからブルースがあった。父の影響で始めた歌とギター

「夢、実現」というけれど、「これが私の夢」と明確に口に出来る人は、実は意外に少ない。「好き」や「憧れ」から徐々に育て、それがいつしか「夢」となる。Anlyさんは、どのように夢と出会い、育んできたのだろう。
「私は、伊江島で生まれて育ちました。伊江島はとても小さなコミュニティーなのですが、父は伊江島のゆり祭りなどのイベントでバンドで歌ってたりする、地元でもちょっと有名なバンドマンだったんです(笑)。だから、生まれたときから私のそばにはギターがあったし、歌がありました。自宅で歌の練習をする父の横に座り、一緒に歌ったりするのが好きで……。だから、幼稚園の頃からおぼろげに「歌う人」を目指すようになりました。歌っていた曲は、エリック・クラプトン(1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドで活躍したギタリスト。現在はソロでワールドツアーなど行う世界屈指のブルースギタリスト)等のブルース・ロック。渋いですよね(笑)。ギターを買ってもらったのは、6歳の頃。小学校3年生で初めてAmのコードが鳴るようになりました(笑)。その頃は、ノラ・ジョーンズなどの曲をカバーして歌ってましたね。今でもカセットテープにその頃の音が残ってます。伊江島は、田舎だからショッピングセンターとかもないし、休みの日は、ずっとギターを弾いて歌ってました。「遊び道具はギター」っていう感じ(笑)。親から「もうそろそろ寝る時間だよ」って言われるまで弾いてました。その頃、学校ではアイドルグループの嵐が流行ってて、友達と歌ったりもしてましたが、家に帰ったらZZ Top(1969年にアメリカ合衆国テキサス州で結成した、スリーピース・ロック・バンド)とか聴いてました(笑)。父が聴いてたブルース・ロックが私の底辺に流れているんだと思います。実は、母も父の影響でクラプトンを聴いていたらしく、私が母のお腹にいる頃の胎教音楽はブルース・ロックだったって言ってました(笑)。毎日歌うことで幼い頃おぼろげだった将来の夢「歌う人」が「シンガーソングライター」へと変化していきました。今思えば、「毎日歌う」ことが、夢を育てることだったんだなと思います」。

初のライブ・ステージで確信した「夢」の形

「時々カラオケ大会等、人前でも歌うようになりました。でもギターを弾いて歌を歌うというのは、私にとって特別な事。初めてのライブは、中学2年の時。伊江島のビーチで開催されたイベントのステージで。歌ったのはテイラー・スウィフト(2006年CDデビューしたアメリカ合衆国のカントリー・ミュージック歌手、シンガーソングライター。女優として映画やテレビドラマにも出演している)やスーパーフライのカバー曲。ただ、ひたすらにがむしゃらに歌ってたっていう感じです(笑)。練習したまま、聴いて欲しいという気持ちがとても強かったと思います。一生懸命歌った後のみんなの反応がとても嬉しかったです。「もっともっと上手になりたい、どんどんライブをやっていきたい」という気持ちがとても強くなりました。「歌う人」への憧れから「シンガーソングライターが私の夢」だと確信した瞬間でもありました」。

大切な友達との出会い。夢を育み、一歩踏み出せた高校進学

Anlyさんの故郷 伊江島には高校がない。中学を卒業すると進学や就職で大半の同級生たちは島を離れる。「シンガーソングライター」を目指すAnlyさんもまた島を離れ那覇の県立高校へと進学した。彼女の高校選択は、明快だった。
「伊江島を離れる寂しさよりも新しい世界、環境、友達との出会いなどワクワク感が強かったです。伊江島に無いものが見れる。メインプレイスとかは夢の場所でしたから(笑)。都会に行って、どんな自分になるのか?という期待感もありましたね。県立小禄高校の「芸術教養コース」を選択しました。シンガーソングライターを目指すとは言え、その頃は、どうやったらなれるのかも分らないので、大学進学も視野に入れながら好きな音楽も学べる学校という条件での選択です。シンガーソングライターへの第一歩の目標は、「那覇でライブ!!」でした」。
高校に入学したAnlyさんは、勉強に部活に一生懸命取り組んだ。しかし、部活もハードな為、目標である「那覇でライブ!!」が徐々に遠のいていくジレンマにも陥った。
「高校入学後、すぐにマーチングバンド部に入部。勉強も部活もすごく忙しかったので、家に帰ったら好きなギターを弾く時間も少なくなり、ジレンマに陥りました。マーチングバンド部は、厳しい中にも喜びがあり、自身の勉強にもなってる。チームワークも良くて、むしろ楽しいくらいでした。だから余計に辛かったのだと思います。「那覇でライブ!!」という目標に対して何ひとつ進展していない……。自分自身の心と向き合い、シンガーソングライターを目指すために、1年間部活をやり遂げた後、退部することにしました。自分としては苦しい決断でした」。

運命の楽曲「ボーイズ・ブルース」とシンガーソングライターへの道

2年生に進級したAnlyさんは、那覇での音楽活動の一歩を踏み出すべく、動いていく。
「マーチングバンド部を辞めて、シンガーソングライター一本に絞る。高校2年生から本格的にライブ活動を開始。まずはオリジナルソングの制作に取りかかりました。初めて作った曲は「虹」という歌。「歌で生きていくぞ」という決意表明的な曲です。マーチングバンド部を辞めて3か月間で5曲という、超ハイペースで黙々と制作。そんな時、タイミング良く伊江島の方から首里の「アルテ崎山」ってライブハウスがとてもいい雰囲気だから行ってごらんと言われ、すぐに行ってみました。お昼のカフェタイム、ライブをやってなかったので、オーナーの方に「ギターちょっとさわってもいいですか?」って承諾を得て、作ったばかりのオリジナルソングを鼻歌で歌ってたら、ラッキーなことに、オーナーからライブに誘われました! 初ライブでは伊江島のことを思って作った曲「カムバック」、自分が見た夢をテーマにした「スリープ」、そして運命の曲「ボーイズ・ブルース」の3曲を歌いました。「ボーイズ・ブルース」は、伊江島から那覇に出て来て受けたカルチャーショックや、当時の心境を歌った歌。すごい渋滞だったり、モノレールが走ってたり(笑)。シンガーソングライターとして歩んでいきたいけど、違う事をしているという憂鬱感と葛藤を歌詞にしました。曲は、幼い頃から親しんでいるブルースというスタイルで。特に「ボーイズ・ブルース」の反響はホントに凄かったです。自分が思った以上に」。
実は、筆者はそのときのAnlyさんの「ボーイズ・ブルース」のライブ動画をインターネット交流サイト、フェイスブックのトピックで見つけて驚いた。若干16歳の女の子がしっかりとしたギターテクニックとメロディーでしかもオリジナルを歌っている。ちなみに、フェイスブック上では、この「ボーイズ・ブルース」の動画をきっかけに音楽関係者の間で話題になっていた。そうとは知らないAnlyさんは、次への挑戦へと行動していた。
「ライブハウスのオーナーから沖縄随一の大きなバンドコンテスト「第27回シーポートちゃたんカーニバル インディーズミュージックコンテスト」を紹介されエントリーする事にしました。賞金で自分のギターを購入できたら最高だなって軽い気持ちで(笑)。エントリー曲で悩んだけど、「ボーイズ・ブルース」に決めました。40組が参加した二次予選のライブ審査で歌ったら反応も良く本選の決勝ライブ審査に進む事ができました。目上の方もそうだけど、同世代からも良い反応を得られたのも嬉しかった! ブルースで間違ってなかった! これでいいんだ!! と思えたんです。そして、7月の本選。決勝に進んだのは10組のアーティスト。もちろんみんな先輩だし、バンド・スタイルやゴージャスなアレンジがされている音源で歌うグループ等、ほんと「那覇のアーティストって凄い」って圧倒されました。こんなに沢山のアーティストのオリジナルソングを沢山聴くのも初めてだし、全てが刺激的で勉強にもなりました。私の歌は、シンプルなブルース。「この歌が、あの大きなステージでお客さんに響くのかな?」という気持ちでした。正直まったく自分がグランプリを取れる気がしなかったです。私のライブパフォーマンスに耳を傾けてくれている方もいたので、「いい経験が出来た! これでよし!」という気持ちでした。そして、結果発表! まさかのグランプリ受賞!! 本当に自分が取れるとは思わなかったので、とても嬉しかったです。父や母、そしてライブハウスの方々もたくさん応援してくれたので、少し恩返しが出来たかなとも思いました。あのコンテストが私の心の栄養になりました。3月にマーチングバンド部を辞めてから7月まで、シンガーソングライターの活動を始めてからはとても目まぐるしかった。でも、ホントにこの道に進んで良かったなと思えました」。

音楽と勉強の両立

夢が明快で、それに向かってがんばるとは言え、Anlyさんは当時まだ高校2年生。どんな方法で音楽と勉強とを両立させていたのだろう。
「マーチングバンド部の時に勉強と部活の両立ができてたので、音楽活動を続けても両立できる自信はありました。両立できてないと音楽なんて続けられないと思ってたから、両立は私の最低限のルールだったんです。学校も音楽活動に関して理解度が高かったし、様々なサポートもしてくれました。だから自分自身の成績が激落ちしたら、応援してくれてた先生、両親にも悪いなとも思ってました。具体的には、自宅で音楽をやりたかったから、授業の時間をとても大切にしました。家に帰ってまとめて勉強するのではなく、授業中にポイントもある程度まとめて、試験の予測も立てる。疑問は、後に残さずに学校で解決する。そうすることで、自宅で音楽に没頭できる時間を作っていました」。
今出来る事は、今やる。時間を大切にする。社会人になっても大切なことを自分自身で気づいて実践しているからこそ、真っすぐな音楽も生まれてくるのだなと感じたエピソード。

進路決定のプロセス、最期は自分の強い意思

沖縄で随一のコンテストでグランプリを獲得したからといって、将来が約束されている訳でもない。進路最終決定の最期の最期まで悩み続けた。Anlyさんを支えたのは、周りの人でありそして何より彼女自身のシンガーソングライターに対する強い想いだった。
「進路に関しては、音楽の専門学校に行こうとかとも考えました。ライブやコンテスト、音楽仲間などができて「音楽の成功への入り口」をより本格的に探し始めました。ただ、この先の事を考えると「大学に進学した方がいいのか?」など、将来に対する不安、悩みもすごくありました。
でも、ライブのステージに立つと悩みや不安、何もかも消えていく。純粋に自分の歌に集中できる。この頃、自分で作った歌に教えられ、勇気づけられる事もありました。それでも学校へ行くと不安になる。大多数の人は、進学をするけど自分はこれでいいのか?っていう悩み、焦燥感は、ループしていました。最終的には、自分の心と真っすぐに向き合って決めました。「やっぱり私はシンガーソングライターになりたい!!」その意志を両親に伝えたら「好きな道に進みなさい」と優しくうなづいてくれました」。

夢を支援してくれた周りの人への思い

「アルテ崎山との出会いが第二のスタートだったと思います。オーナーの与那城さんがライブの機会を与えてくれてコンテストも勧めてくれた。実は、初ライブが、音楽プロデューサー(Nash)のお姉さんのライブのオープニングアクトだったというラッキーにも出会えた。運命的なものを感じました。それが縁で出会ったのが、プロデューサー。私の知らない音楽やリズムを教えてくれたり、自分の思考とは違う目線で私の歌を見つめ、アドバイスしてくれる。さらに、時間をかけてディスカッションを重ね、曲が生まれるきっかけを与えてくれた。そしてなんと言っても両親。高校の3年間、母が那覇に出て来て私を生活面で支援してくれ、その間、父は伊江島で独り暮らし。私を支えてくれてると実感しました。父が、一番自分の曲も分ってくれるし、ライブをいつも観に来てくれるし、理解もしてくれている。
夢実現になくてはならないのが、両親の理解とサポートですよね。私は、自分がやりたいことを幼いころから観てもらいながら、気軽に相談するというアプローチの仕方がよかったのかもしれません。だから両親に進路相談をしたときも「そうしなさい」って言ってくれたんだと思うんです」。

16歳、当時の等身大の想いを詰め込んだファーストシングル「Sixteen」をリリース

「2015年、1月19日にファーストシングル「Sixteen」をリリースしました。プロデューサーと出会って、初めてのレコーディング。16歳の頃の等身大の記録です。故郷の伊江島の写真も盛り込んで。このCDに収録されている2曲は自分の原点。「あなたがいるだけで」は、「マーチングバンド部を続けるか?シンガーソングライターの道に進むか?」を友達に相談したことがきっかけで生まれた歌。「シンガーソングライターにすすむべき」って背中を押してくれたんです。自分の気持ちだけでは進めない事ってありますよね。その友達に感謝の気持ちを込めて作った歌。「ボーイズ・ブルース」は、コンテストグランプリ受賞曲。ようやく音楽の道の入り口にたどりついた感じです。夢は2つ。去年エリック・クラプトンの武道館公演を観に行きました。「クラプトンがステージで見た景色を私も感じたい」そう思ったんです。だから目標は、武道館コンサート。そしてもうひとつ、伊江島でフェスを開催したい。伊江島の人、みんな応援してくれてるんです。そんな島に恩返しがしたい。アーティストも観客も島の人も一緒に楽しい一日を作れる、そんなフェスを開催できるようなアーティストになりたいです」。

自分自身を掘り下げて!自分の未来は自分しか決められない!!

「夢をまだ見つけてない人、とても苦しいですよね。しっかり『夢』が決まっている人を見ると焦ると思います。でも自暴自棄にならないで、自分自身と向き合って欲しいな。自分もときどき『どうせ後でなんとかなるさ』って思った事もあったけど、なんとかならない(笑)。今のこの時って一生に一度しかない。だから一日一日を大切にして欲しいと思います。自分が好きになりそうな所、学べそうな所を調べ掘り下げていく事できっと見つかると思います。決めるのは自分。しっかり自分の未来のために自分と向き合って!人が決める訳じゃない!! 流されて進路を決めると後で絶対に後悔します!! 自分の気持ち、今この時を大切にしてください!!」

澄んだ瞳で未来を見つめている。真っすぐに自分自身と向き合えるからこそ、共感を得る歌を生み出す事もできる。夢の扉を自らの手で開き、その道を一歩一歩確かな足取りで歩んでいる十代のシンガーソングライターAnlyさんの夢の続きをますます応援したくなった。夢実現には、多くの協力も必要となる。今回のインタビューを通して、彼女の等身大の生き方がみなさんの進路選択、夢実現のヒントになる事を心から願ってます。読者のみなさんにそれぞれの素敵なブルースが生まれますように。

Profile

Anly/シンガーソングライター
1997年生まれ、伊江島出身。
ポップスからブルース調まで、幅広いジャンルを歌いこなすシンガーソングライター。
これからの成長が楽しみな18歳。現在精力的にライブ活動、作曲活動中。
2013年、「第27回シーポートちゃたんカーニバル インディーズミュージックコンテスト」グランプリ受賞。2015年1月、ファーストシングル CD 「Sixteen」リリース。

information

ARTIST:Anly CD TITLE:「Sixteen」
RELEASE:2015年1月19日
PRICE:800円(tax in)
CODE:NCR-009

16際の等身大の歌、想いを綴ったAnlyのファースト・シングル「Sixteen」
伊江島出身、現在18歳のシンガーソングライターAnlyのファースト・シングルCD。レコーディング当時16歳。ほぼワンテイクで録り終えた本作は、タイトル通り16歳のAnlyを真空パック。並みいるアーティストの度肝を抜いたティーンのブルース、コンテスト・グランプリ受賞曲「Boys Blues」、夢を追う事を応援してくれた友への感謝の気持ちを綴った「あなたがいるだけで」の2曲入り。必聴です。

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Catch the Dream 2015.7

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