お笑い芸人 じゅん選手(大城 純)

Interview

ゆっくり焦らず「よ〜んな〜よ〜んな〜」がテーマというじゅん選手。だが勝負どころでは一気に畳み掛ける勝負強さがお笑いの中でも開花。お笑い芸人として旋風を巻き起こすまでの苦労したエピソードを語る時も、笑いを忘れずにウチナーグチでの取材がはじまった。
しまくとぅば替え歌、しまくとぅば絵本、しまくとぅば漫才やコントととにかく沖縄のお笑いの中で嵐を巻き起こしているのがじゅん選手だ。絶妙な毒舌ウチナーグチで中高年のこころを鷲掴みにし、舞台やテレビ、ラジオに引っ張りだこのじゅん選手に、お笑い芸人になるまでの話を聞いた。

「おじぃみたい」と言われ主人公に抜擢。小2の学芸会が才能発見の第一歩

「実はこう見えて小学校低学年までは家でも学校でもあまり喋らない子だったんです」と冒頭から笑いのネタかと思わせる発言。小児喘息を患っていたためにほとんど学校にも行けず、家にいても親からは「あんたなんか喋りなさい」と言われるほど目立つことなどなかった。もっぱら好きだったのは絵を描くことで、とにかくたくさん描いたという。それは現在も変わらない。そんなじゅん選手に転機が訪れたのは小学校2年生の学芸会の時。主人公がおじぃの役で、配役をするときに学校を休んでしまったのだが、クラスの誰かが「じゅんがおじぃみたいだから」という理由で主人公に大抜擢される。しかし学芸会当日、体調が悪化し喘息の発作で動くのもやっとの状態に。担任の先生が「じゅんどうする?」と聞いてきたが、そのおじぃ役がいなければ台無しになるからという理由で無理を押して出演。息も絶え絶えなんとか演技を終えたじゅん選手だったが、それを察した客席からは拍手の嵐。舞台の袖で倒れこんでいたが、拍手が胸に響き忘れられない感覚を覚えた。その快感を味わってからというもの、翌年からは自ら進んで主人公を買ってでるようになり、小学校高学年にもなると「学芸会はじゅん」というほどイメージが定着し、いつの間にか目立つことに使命感を覚え始めていた。注目を集め始めてから喘息の発作も出なくなり、ますます目立ちたがりが強くなる。授業中も先生が黒板に文字を書いていると、変顔などでクラスを笑わせるということが日常になっていた。良い意味で目立つことを選べばいいのだが、悪戯をしてでも、とにかく人を笑わせることだけが自分を動かす原動力になっていた。ところが小学校最後の学芸会のとき、悪戯好きが災いすることになる。主人公に立候補する人が多かったためオーディションをすることになり、じゅん選手は最後の出番となった。ところが待つ間の緊張感が最高潮に達し「目立ちたい」という気持ちだけで舞台の上に立ったときには素っ裸だった。「もうその時はめちゃめちゃ怒られました(笑)」ついに回ってきた役柄は舞台を端から端へ走り去るだけの農民役となってしまい終了。「今振り返るとフリムン(バカ)だね」と笑い飛ばすのだった。

紙芝居の絵はすべてじゅん選手本人が手掛けている。子供のころ絵を描くことが好きだったことが、今となっては芸風の一つとなっている。この日も紙芝居の一場面を描いていたがサングラスをかけ照れ隠し。あまり人前で真剣な顔は見せたくないらしい。

忘れられない“1062”という受験番号。熱血先生との出会いと涙

中学校へ進学すると、さすがに猫をかぶってどうにか女の子にモテようと、髪を染めてみたり自転車で学校へ乗り付けてみたりとヤンチャばかりするようになり、中学3年の担任にはとても迷惑をかけたと語る。しかし、担任の先生はいつも寄り添ってくれていた。卒業アルバムの記念撮影の前日、担任から「髪を染め直してちゃんとした格好で登校するように」と言われ、それまでまともに先生の言うことなど聞いたことがなかったが、ここで始めて「目立とう」という気持ちに変化がでる。「先生を驚かせよう」と決意したじゅん選手は、撮影当日髪を黒く染めなおし身なりをきちんとして登校。すると先生が涙を流しながら「ありがとう。ありがとう…」と握手をし、なんども礼を言ってくれた。先生を見て何かしら心を揺さぶられた感じがし、それからというもの真面目に学校へ通うようになる。先生の期待に応えたいという気持ちと高校へ進学しなくてはという思いから、なんとか高校受験するところまでたどり着いたが、これまでまともに学校生活を送ってきたわけではなかったため正直高校へはいけないだろうと思っていた。しかし先生はあきらめず励ましてくれた。時に厳しく時に寄り添ってくれ、いよいよ合格発表の日を迎えた。「どうせ受かっていないよ」とふてくされて朝寝坊をしていたところへ先生が自宅までやってきて「じゅん! 合格発表見に行こう!」と言ってくれた。実はこのとき先生は先に結果を知っててわざわざ誘いにきていたと後から知ることになる。“1062”今でも忘れない受験番号。会場で見つけたときは涙をこらえたが、先生がやってきて「やったな!じゅん」と背中をバシッと叩かれとにかく照れくさかった。この先生に出会ってなかったら高校へ進学することなんてできなかったと振り返る。実はその先生は、今でもじゅん選手のお笑いライブに応援に駆けつけてくれているそうだ。

誇りだった仕事に疑問。怪我をしたことですべてが白紙に

高校卒業後は建築現場で働くようになり、数年が経つと仕事にも誇りが出てきた。現場では明るく振舞い、とにかく仕事仲間たちからの笑いを取ることをスパイスにがんばっていた。そしていつしか自分で人を雇って現場に入ることができるようになりたいと夢を持つようになった。しかしここで転機が訪れる。仕事にはプライドがあったが、腰を痛ためてしまう。しばらくは我慢しながら出勤していたがあまりにも痛くて一週間休みを申請。そこで初めて人生を振り返ることになる。「ここまで身を粉にして働いている自分はなんなんだ?」と物思いに耽った。しばらくして現場に復帰すると、仕事仲間の材料屋さんから知り合いに芸人がいるからということで「君おもしろいからお笑いでもやったら?」と声をかけられる。しかし「お笑い」には興味がないし今の仕事に愛着もあるしプライドも持って仕事しているし…と思っていたところ、高校時代に一緒にバンドを組んで文化祭などで注目を浴びた先輩と会うことになる。「どうした?おまえはこんなところで終わる奴じゃないだろ!」と激を飛ばされ、この一言が後押しとなりその場で材料屋さんへ電話をし、お笑い芸人のベンビーさんを紹介してもらうことになる。

おじぃとおばぁの“みーとぅんだおーえー”夫婦喧嘩の即興劇から始まったお笑い

芸能事務所というものが何かも知らないまま、オリジンの事務所へ足を運んだ。代表の真栄平さんと二人だけで面接。しかし、いきなり「ネタやってみて」と言われ、今までそんなこと考えたことなかったので、とりあえず5分間だけ時間をもらい「できました」と始まったのが即興劇「おじぃとおばぁの“みーとぅんだおーえー”」だった。シナリオもなにもない。“ありひゃ〜、くりひゃ〜”と10分くらいウチナーグチで演じた。それを見た代表は「これはヤバイ奴が来た」と芸人の前でもう一度ネタをするように言ったが、アドリブなので同じことができるはずもなく、またまた即興でやることに(笑)。先輩芸人からは「事務所間違えたんじゃないか?」など変な奴が来たということで持ち切りになり結局はオリジンで見習いとして登録することになった。しかし見習いといってもそのままでは食っていけないので、建築現場の仕事も掛け持ちだった。作業中も頭の中はネタのことばかり。仕事が終わると事務所へ行き先輩芸人のネタを見て、自分なりにシナリオを考えては修正を繰り返していた。ようやく半年の研修期間が終わり舞台へ立つチャンスがやってきた。お客の反応は上々。とてもうれしくなり昔味わったなつかしい感触を思い出す。「最初はいいがこれから人気を維持することが大変だぞ」と先輩芸人からアドバイスもあり気合いが入った。ほどなくしてテレビ出演のチャンスが到来。そこでじゅん選手は「今だ!」とこれまでのネタをYoutubeにアップした。この判断が見事的中し、放送を見た視聴者がじゅん選手をネットで検索。放送後瞬く間にアクセス件数が増え、じゅん選手は人気芸人へと登り詰めたのだ。ひょんなことで決まった学芸会での主役、先生を驚かせようとした写真撮影の日、仕事仲間からの「お笑いをしてみたら」という一言。何がキッカケになるのか分からないが、それをチャンスに変える力があるからこそ、今のじゅん選手がいるのだろう。

全てが無駄ではなかった。絵を描くことが好きだったからできたこと

じゅん選手の芸風は、紙芝居をウチナーグチで語るもの。実は芸人になる前に親戚の結婚式の余興で披露したのが今の芸風のスタイルになっている。紙芝居の絵はじゅん選手のお手製だ。ウチナーグチも北中城の近所の金城さんと会話をして覚えたもの。じゅん選手という芸人のルーツは、喘息持ちで絵を描くことが好きな少年時代があったからこそ。そして生まれ持っての“めーばー”(出っ歯)も今ではトレードマーク。とにかく目立ちたい気持ちから昔は行き過ぎたことをやっては周りに迷惑をかけてばかりだったが、それがきっかけで熱血先生にも出会え、高校時代には互いに刺激しあえる先輩に出会い、建築現場で材料屋さんに出会う。なにもかもが無駄ではない。ただもしもじゅん選手が中学時代に髪を染め直してなかったら、今はどうなっていただろうか。選択権はその人本人にあるが常に前を向いている人は正しい決断ができるに違いない。じゅん選手の話を伺うとそう感じるのではないか。

じゅん選手のウチナーグチ紙芝居 方言をどのように学んだかと聞けば出身地の北中城村の近所の金城さんに教えてもらったとか。紙芝居はなんとじゅん選手が22歳のときに親戚の結婚披露宴の余興で「沖縄のドラえもん」をやったのが初めて。

ゆっくり焦らず「よ〜んな〜・よ〜んな〜」全ては出会いがあってこそ

「すべては自分の興味本位で始まったことだが、自分の努力だけで今のステージに立っているわけではない。一つ一つの出会いとキッカケがあったから。だから今後の夢と言ってもこれといって特別なものではなくて、関わってくれた方々や裏で支えてくれている方に感謝しつつ、今の人気に流されることなく長い目で焦らないで芸人をやっていけたらいいなと考えていて、一気に何もかもという気持ちはない。もしも勢いでやってしまうと自分を見失って、また昔のように間違った価値観を持って場の雰囲気に流されてしまうだろうから、今一度自分を見つめなおして更に自分を進化させることを常に考えて行動したいと思う」これからどうしたいかというよりも「焦らず“よ~んな~・よ~んな~”」がじゅん選手のモットーのようだ。しかし焦らずとも進化を続けるじゅん選手のことだ。“ばんみかして”(驚かせて)くれることを願うばかりだ。

じゅん選手から高校生へメッセージをお願いした

「若いときってなにかエネルギーに溢れている。なんでもいいと思う、グループでも個人でもいいので何かに挑戦してみてほしい。高校生って妥協しないで何かに没頭することができるはず。挑戦したら成功も失敗もする。それが高校生だと思う。これはただの思い出話になるだけじゃなくエネルギーの使い方を知る良いきっかけになるはずなので、挑戦することを続けて欲しい」失敗することを恐れず挑戦し続けている先輩からの熱いメッセージとして受け取って欲しい。

Profile

お笑い芸人 じゅん選手(大城 純)
1985年北中城村出身。人を笑わせることが好きで、笑っている人をみて笑う。
独特のうちなーぐち紙芝居やうちなーぐち替え歌などじゅん選手ワールドを展開。
中部商業高校を卒業し建築現場で働いていたところから芸人の世界へ転身。
出っ歯であることさえも笑いに変換し「めーばー(出っ歯)です」と自己紹介し中年層の心を鷲掴みにする。

Catch the Dream 2015.11

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