箱根駅伝総合優勝に向け掲げるチームスローガン
「はばちかす〜想いの継承、そして革新へ〜」

Interview
箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)は毎年1月2日と3日に開催される日本の大学駅伝競技の一つで、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの往復約217kmを10人の選手がリレー形式でつなぐ学生長距離界最長の駅伝競走である。山登りや下り坂など過酷なコースを舞台に、各大学の誇りをかけた熱い戦いが繰り広げられる伝統的な大会だ。長距離選手なら誰もが憧れる夢の舞台、箱根駅伝総合優勝を目標に、学生最後の大勝負の年を迎えた2人に、陸上競技との出会いとこれまでの歩み、箱根駅伝にかける熱い想いを伺った。
長距離走を始めた時期ときっかけ
― 中学時代は野球部とバスケ部に所属
上原:僕は中学時代、野球部に所属していて、純(嘉数)はバスケットボール部でした。学校には陸上部がなかったので、陸上競技大会の時期になると各部活から足の速い生徒が選ばれて陸上の大会に出場したのが走り始めたきっかけです。
嘉数:沖縄県では中学校に陸上部がある学校が少ないので、多くの選手が僕たちのように他の部活に所属しながら陸上競技大会に出場していました。
上原:1年生から駅伝に出場し、3年生の時は全国中学駅伝大会で36位になりました。
嘉数:それまで沖縄県の成績は40位台が当たり前だったので、30位台に入れたことは快挙でした。

― 濱崎達規さんとの出会い
上原:中学2年生のとき、全国都道府県対抗男子駅伝の沖縄県代表に選ばれたのをきっかけに、社会人ランナーとして出場していた濱崎達規さんと出会いました。うるま市出身の濱崎さんは、長距離界の第一人者で、亜細亜大学時代に箱根駅伝を2回走り、実業団でも主将として活躍されたすごい方です。
嘉数:ちょうどその頃、濱崎さんが陸上好きの若者を集めて「なんじぃAC」という陸上クラブを立ち上げていて、僕と琉翔(上原)も週に2回ほど練習に参加させてもらっていました。
上原:記録もない無名の頃から濱崎さんには本当によく面倒を見てもらって。一緒に練習するなかでタイムが縮まり、結果も出せるようになりました。今の僕があるのは、間違いなく濱崎さんのおかげです。
名門・北山高校陸上部での飛躍
― 恩師・大城昭子先生の元で陸上を本格スタート
上原:中学時代に全国大会出場や県選抜に選ばれたことがきっかけで、駅伝の名門・北山高校の大城昭子先生から声をかけていただきました。濱崎さんと同じく、僕の陸上人生に大きな影響を与えてくれた恩師です。当時、野球部の顧問の先生からも「陸上で勝負してみたらどうか」と背中を押してもらい、進学を機に本格的に陸上を始める決意をしました。
嘉数:僕も走ることの方が性に合っていましたし、琉翔をはじめ、県内のトップ選手たちが北山高校に進学すると聞いて、「このメンバーと一緒に走ってみたい」と思ったのが入学の決め手でした。
― 沖縄最強世代が北山高校に集結
上原:僕たちの代は、県内中学の長距離成績上位8人が集まった、まさに“沖縄最強世代”でした。入学当初から「この代で結果を出そう」と、強い気持ちで活動を始めました。
嘉数:先輩方の代は長距離選手が少なかったので、琉翔とは1年生のときからレースに出ることができました。しかし、初めて参加した九州合同合宿では全国の強豪校のレベルの高さに圧倒されて、練習についていくのが精一杯でした。
上原:沖縄県内では無敵だった僕たちも、県外に出ると差は歴然でした。沖縄の長距離界のレベルの低さを痛感させられた経験でした。
嘉数:それでも自分の意思で選んだ道。始めは寮生活でホームシックになることもありましたが、毎朝5時半から練習を積み重ね、週に一度のオフ以外はひたすら走り続けました。
― 3年連続・全国高校駅伝に出場
上原:北山高校では、3年連続で都大路(全国高等学校駅伝競走大会)に出場することができました。1年生で県歴代最高タイムを出し、2年生でその記録を更新。3年生ではタイム更新こそできませんでしたが、これまでの最高順位だった30位から27位へと順位を上げることができました。
嘉数:僕は1年・3年と3区、2年では6区を走り、琉翔はエース区間の1区を3年連続で任されました。つらいこともありましたが、高校では目標を達成し、やりきったという実感があります。その経験を経て、大学ではもっと厳しい環境で、さらに上を目指したいという想いが強くなりました。
國學院大學 陸上競技部に入部
― 前田康弘監督との出会い
上原:高校1年生のとき、沖縄合宿に来ていた國學院大學 陸上競技部の練習に参加させてもらい、そこで前田監督から「國學院大學に来ないか?」とお声がけをいただきました。当時はまだ実績がなかったのに、練習中の走りを褒めていただき、とても嬉しかったです。
嘉数:僕も高校1年生のときに参加した日体大競技会(日本体育大学長距離競技会)で、前田監督から「一緒に歴史を変えよう」と声をかけられ嬉しかったことを覚えています。その年、國學院大學は出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走)で優勝し、箱根駅伝で総合3位の成績を収めていた強豪校でした。この上ない光栄なお話すぎて興奮しました。

― 成長できる環境を求めて
上原:苦しい練習の成果もあり、高校2年生ぐらいからタイムが縮み、結果がついてくるようになりました。3年生では個人種目でインターハイに出場し、5000mでは沖縄県在住の高校生として初の13分台となる13分56秒84の自己ベストを出すことができました。そのため、國學院大學以外の強豪校からも声がかかりましたが、1年生のときから声をかけてくださっていた前田監督の存在と、部の雰囲気の良さ、成長できる環境があると感じたことが大きかったです。1学年上には平林清澄さん(現・ロジスティード)もいたので、箱根総合優勝を目指せるメンバーも揃っていると感じました。何より、「箱根総合優勝にはお前の力が必要だから」と言ってくださった監督の気持ちに応えたいと思い、國學院大學を志望しました。
嘉数:1年生のときに声をかけていただいたときから國學院大學への進学は決めていました。さらに、琉翔も進学を決めていたので、國學院大學で箱根総合優勝を目指すことを決意しました。
― プロ意識が育まれる練習環境
上原:入学後、大学の練習に参加して感じたのが、部員全員が高い意識を持っていることです。沖縄県内では自分たちがトップクラスでしたが、県外は速い選手ばかりで、練習や環境はプロそのものでした。大学生からその環境で成長できると思うとワクワクしました。
嘉数:高校時代の練習は短くて3㎞、長くても10㎞程度でしたが、大学では全区間の選手が20㎞以上走ります。自分の目標タイムを設定し、それに向かって走る練習にも刺激を受けました。
上原:寮の食事も企業に委託し、公認スポーツ栄養士によるアスリート向けのメニューが提供されています。昼食は大学があるので各々になりますが、できるだけ栄養バランスを意識して、たんぱく質や野菜ジュースを摂取しています。
嘉数:長距離ランナーとして適した身体を作るために、柔軟性やバランス、体幹を鍛えることに重点を置き、ウエイトトレーニングも行っています。筋肉をつけるだけでなく、ケガや故障を予防するためにも大切なことだと学びました。
― 1日の流れと大学生活
上原:1日の流れは、だいたい毎朝5時に起きて、寮のそばを流れる多摩川の河川敷へ朝練に向かいます。5時40分に全体集合となり、朝練をして補強トレーニングをした後、寮に戻り朝食。各自、授業時間に合わせて大学に登校します。
嘉数:60名弱の部員がいるので、その日の授業に合わせて午前練、午後練どちらかに参加する形を取っています。
上原:月曜日と水曜日だけは強度の高いメニューを行うため、全員、午前授業を取る決まりになっています。
嘉数:寮は2人部屋で、北山高校の寮に比べたらとても快適ですが、こちらは都会なので、自然豊かな沖縄が恋しくなることがあります。
上原:学部によって渋谷キャンパスとたまプラーザキャンパスに分かれているので、僕は少しでも自然が多く、穏やかなたまプラーザキャンパスで学べる学部を選びました。
嘉数:都会に行くと疲れるので、日曜日のオフも寮でのんびりと過ごすことが多いですね。平日も夜は22時に就寝します。
上原:僕らあまり勉強が好きではないので、大学生活の中心も駅伝一色です(笑)。

今年、北山高校から入学した1年生の島袋 翔(右端)さんと具志堅 源竜郎(左端)さん。
箱根総合優勝にかける想い
― 念願の箱根駅伝に出場
上原:箱根駅伝には1年生のときに7区で初出場し、区間順位6位でした。2年生では4区を任されて区間順位4位、3年生では9区を走り、区間順位6位と安定した結果を残してきました。
嘉数:僕は今年、初めてエントリーメンバーに選ばれて6区(山下り)で出場しました。
上原:チームとしては今年が総合3位。昨年は5位、一昨年は4位でした。2024年度は、10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝で優勝し、年明けの箱根駅伝でも勝って「三冠」を達成するのが目標でした。そもそも國學院大學を選んだのも、「平林さんの代で箱根駅伝総合優勝を目指す」という強い思いがあったからです。だからこそ、目標に届かず非常に悔しい思いをしました。
― 主将として新体制スタート
上原:箱根駅伝の後、例年であれば一度帰省期間があるのですが、今年は数日間だけ疲労を抜く時間をとってすぐに練習を再開しました。新主将として「はばちかす 〜想いの継承、そして革新へ〜」というスローガンを掲げました。これは、まだ成し遂げられていない箱根駅伝総合優勝を果たし、國學院大學の名をさらに高めたいという思いを込めた言葉です。
嘉数:琉翔は1年生のときから学年長を務めていて、ムードメーカーとしてチームを明るく引っ張るタイプ。一人ひとりをちゃんと見てくれているので、同期だけでなく後輩からの信頼も厚くて、まさにチームの中心的存在です。
上原:純は口数は少ないけれど、背中で語るタイプ。後輩たちから一目置かれている存在です。僕は叱るのが得意じゃないので、周りに助けてもらいながらやっています。でも同期は本当に頼りになるメンバーばかり。今のチームはとにかく明るくて仲が良いのが特徴です。ただ、箱根駅伝総合優勝に対する本気度はまだ足りないと感じる部分もあります。まだまだこれからですが、全員が同じ方向を向き、前体制の思いをしっかり受け継ぎつつ、新しいチームの色で革新を遂げたいです。
― 個人では世界入賞を狙う
上原:箱根駅伝から1カ月後に行われた日本学生ハーフマラソン選手権大会に出場しました。学生上位3名が7月にドイツで行われる「FISUワールドユニバーシティゲームズ※」の出場権を得られる大会で、3位に入って代表内定を獲得することができました。箱根の疲労はありましたが、そんなことを言っていられる立場ではないですし、自分が前向きに取り組む姿勢をチームに見せたいという思いもありました。
嘉数:僕は今回は出場していませんが、琉翔をふくめた4名の選手が10位以内に入り、國學院大學の存在感をしっかり示すことができました。琉翔は國學院大學の歴代1位の記録をマークしていて、本当にすごい。チームとして「日本一」を目指すのはもちろんですが、個人がそれぞれの目標に向かって努力することが、最終的にはチームの力につながると思っています。夏のトラックシーズンでは各自が優勝を狙って取り組んでいきます。
上原:僕自身、個人としても「世界で入賞すること」をしっかり目標に掲げています。
※FISUワールドユニバーシティゲームズ=2年に一度開催される学生を対象にした国際総合競技大会
感謝を伝えたい人
― 「ありがとう」の言葉と恩返し
上原:大城先生と濱崎さん、このお二人と出会えたからこそ、今も陸上を続けられています。本当に感謝しています。お二人は今も子どもたちに指導されているので、僕もその背中を追って、まずは競技の面で結果を出し、沖縄県の長距離界を一緒に盛り上げていけたらと思っています。
嘉数:やはり一番感謝したいのは両親です。高校から陸上を始め、ずっと寮生活をしてきた僕を、金銭面や精神面でずっと支えてくれました。大会に応援に来てくれると、本当にうれしいです。
― 高校生へメッセージ
上原:初めての県外生活は不安もありましたが、来てみたら意外とすぐに慣れました。関東の駅伝界トップの環境でいろいろな経験ができたことは、自分の大きな財産です。沖縄も素晴らしい場所ですが、もし県外により良い環境があるなら、思い切って飛び込んでみることをおすすめします。
嘉数:もちろん最初は大変なこともありますが、その分、判断力や自立心が育ちます。どれだけ目の前のことに真剣に取り組めるか、将来を見据えていればどんなことでも必ず乗り越えられます。県外に出て初めて、沖縄の良いところや課題にも気づけましたし、全国からいろいろな人が集まる環境で学べるのはすごく面白いです。
information

今年度のスローガンである「はばちかす ~思いの継承、そして革新へ~」をもとに、主将上原琉翔を中心に箱根駅伝総合優勝に向け日々活動しています。
國學院大學陸上競技部、1890年創部。
昨年度の成績
■東京箱根間往復大学駅伝競走
2025(第101回)3位
■全日本大学駅伝対抗選手権大会
2024(第56回)1位
■出雲全日本大学選抜駅伝競走
2024(第36回)1位
公式ホームページ
https://www.kokugakuin.com/
Profile

Profile
上原 琉翔(左)
Ryuto Uehara
嘉数 純平(右)
Junpei Kakazu
ともに那覇市生まれ、沖縄県立北山高等学校出身、國學院大學 人間開発学部 健康体育学科 4年生。那覇市立仲井真中学校時代は野球部とバスケットボール部に所属していた2人だが、足の速さを買われ陸上大会にたびたび出場。全国中学校駅伝や全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で好成績を収め、高校から陸上部に所属。現在は陸上競技部にて箱根駅伝総合優勝を目指す。
GO TO SCHOOL!! 2025.07