琉球イラストレーション 与儀勝之

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沖縄の鮮やかな彩りと繊細なイラストが特徴的な「琉球イラストレーション」
コザのアトリエで生まれ続ける古典芸術がベースの新たな作品

Interview

「ライカムのユニクロの壁にジンベイザメの絵を描いた人」といえば伝わる、与儀勝之さん。
アーティストとして活動している経緯や、作品のことについてお話を伺った。

沖縄を出たかった学生時代

今でこそアーティストの肩書きを持っている与儀勝之さんだが「最初から芸術の道に進もうとは思っていなかった」という。「高校時代の授業中は、勉強よりも教科書の片隅にパラパラ漫画を描くことに夢中になっていた」学校の成績は上位のほうではなかったが、在籍していた小禄高校から沖縄県芸に進む人は貴重で、高校の先生がたの手厚いサポートもあり、無事に高校を卒業し沖縄県立芸術大学に入学することができた。「じつは学生のころは沖縄のことがあまり好きではなく、県外の大学も受験したけれどセンター試験で合格したのが沖縄県芸だった」。消去法的に進学した県立芸大だったが、入学して沖縄の歴史や文化、芸術について学んでいくうちに興味を持ち「沖縄が好きになった」という。

東京でグラフィックデザイナーに

沖縄県立芸術大学を卒業後、与儀さんは東京の広告会社に就職する。業界のことをよくわからないまま入社した広告会社では「グラフィックデザイナー」の肩書きを名乗っていたものの、自分がデザインをする仕事ではなく、受けた仕事をデザイン事務所などに振る、ディレクション的な仕事がメインだった。「ポスターやCDのプレスや告知物など、さまざまな製作物や業種に関わってとても勉強にはなった」その業務のかたわら、自宅で絵を描くことは続けていた。「東京で3年くらい修行して沖縄の会社で働こう」当初はそう考えていたそうだが、スノーボードの魅力にはまってしまい、毎年のようにスキー場に通い、気がつけば6年の月日が経っていた。

本業はスノーボーダー?

29歳になったとき「そろそろ沖縄に帰ろう」と思った与儀さん。会社の上司に退職の意思を告げると『これからディレクターに昇格するところだったのに』と引き止められたが「グラフィックデザイナーの肩書きだけど、やっている内容はすでにディレクション」だと思い、潔く退職した。しかし、すぐには沖縄へ戻らず、スノーボードの滑り納めとして北海道のニセコに飛び立った。スノーボードを満喫する日を過ごしていたが、あるとき滑りをミスしてしまい、レスキューに救出される。腰の骨を折り自力で立ち上がれなくなるほどの大怪我で、しばらく悶々とした日を過ごしたが体調は順調に回復した。沖縄に戻り、地元企業に就職しようと思ったが、冬山で滑るスノーボードの楽しさが忘れられず。その後、1年ほどは定職につかず、冬場は福島のスキー場でスタッフをしてスノーボードを楽しみ、夏は沖縄の海にもぐり、沖縄と雪山を行き来する生活をしていたという。

改めて見た沖縄は彩り豊かだった

より道しながらも地元に戻った与儀さんは「沖縄でとにかく生命力を感じた」という。「沖縄に戻ってきて、なにもかもがキラキラして見えた。東京と比べて沖縄の空は広いし、海もキレイで緑も力強い」改めて沖縄の良さに気づいた与儀さんは、沖縄でグラフィックデザインの仕事をしながら絵を描き始めた。最初は紙とペンのアナログで絵を描いていたが、友人にDVDプレイヤーをあげたお返しにペンタブをもらい、それからデジタルでも描くようになった。「東京で働いていた時はディレクションが多かったので、自分の創作がやりたくなった。沖縄のお盆などもそうですが、見えないものに対して意識がある。その見えないもの・内にあるものをもっと表現したい」沖縄を出たからこそ気づいた「当たり前にある沖縄の良さ」と「内なる宇宙」を作品を通して表現するようになっていった。

アイデアは手を動かすところから始まる

琉球イラストレーション」は、遠くからでも鮮やかな彩りがパッと目につく。離れたところから見て青い海が描かれている絵に近づいてみると、魚やサンゴ、アオリイカなど繊細な部分までしっかり描き込まれているのが特徴だ。その絵のアイデアはどのように浮かぶのか聞いたところ「まずは手を動かす。ぼんやりしたイメージが、紙に描いていくうちに、だんだん形になっていく。描きたいテーマがあるときもあれば、なんとなく描くこともある。手と頭がリンクしている」どんなに大きな作品も、最初は紙にペンでラフに描き始めるそうで、その原画や書いている途中の作品も見せていただいた。「全体的なものをとらえて細やかなものにしていく」ひとつの作品を描き上げるまで、だいたい3ヶ月から半年はかかるそうだ。そして描き上げた絵の色付けは、デジタルで行っている。アーティストの中にはアナログ絵にこだわる方も多いが「デジタルだと色味が違うと思った時に修正がしやすい」繊細な琉球イラストレーションが生み出されるまでの工程は、イメージするだけで気が遠くなりそうだが、与儀さんは一つひとつの作品に真摯に向き合っている。

原画をトレースする与儀さん。下絵をもとに細やかなところまで描いていく。絵画は注文を受けてから額を作成してのお届けとなる。

惹かれるのは古き良き伝統文化

デザインと聞くと、現代アートやカッコいいイメージが浮かぶものだが、与儀さんは学生時代から古典芸術に魅力を感じていた。沖縄県芸に通っていたときも「バリの影絵や沖縄の紅型、縄文土器など、古い時代から伝わっている文化や芸術に惹かれていた」という。新しい流行り物を求める周りの学生と、興味を持つ対象が違っていた与儀さん。「周りと違うことに少し恥じる気持ちもあったが、好きなものを大切にして過ごしていた」若いころは、周りと同じものを好んだり求められたりすることもあるが、与儀さんは自分の好きなものを大切にし続けて「琉球イラストレーション」の形を創り上げた。アジア的な陰陽や内なる宇宙を表現し、古いものと新しいものを融合した独自のデザインは、古典芸術と伝統文化から影響を受け生み出されている。

与儀さんが考える「才能」とは

一般的に、アーティストと呼ばれるかたは『才能』があると思われているが、与儀さんは「好きなことをコツコツと続けることが大切」だと考えている。「絵だけでなく、子どものころから作るのが好きだった。ガンプラも作ったし、紙粘土でトトロや小さいものを作ったりしていた」子どものころから好きなことに取り組んでいた与儀さんは、親に『サラリーマンになるのは無理』といわれていたそうだが「広告会社で6年も働けましたよ!」と笑顔で語る。今はアーティストとして活動しているが「始めからアーティストの道に進んだのではなく、好きなことを突き詰めていたら、進んだあとに『道』ができていた」という。本業だったグラフィックデザインから創作活動を行うアーティストに転向するのは、収入的にも差が大きく迷いもあったことだろう。そんなとき「絵の仕事をしていいよ」と奥様の理解と協力があったとお聞きして、与儀さんの才能がさらに広がったのは、奥様の内助の功のおかげだと感じた。

作品に全力をつくす

与儀さんに創作に取り組む時間についてお聞きした。「昔は6畳1間のスペースで、絵の横に寝て描いていることもあったけれど、今は体力的にもずっと描くことはない」という。最近はアトリエ『art gallery soranoe』にいる平日の11時~17時の間に描いているそうだ。「作品には全力を尽くし、細かいところまで描きすぎて、気がついたら大きな作品になっている」与儀さんの作品に近づいてじっくり見ると、絵の中で泳ぐ魚は1匹ずつ模様が違っていたり、タコやサンゴなども細やかなところまで描かれている。県外の展示会場にサンゴの研究をしているかたが来展し「サンゴがよく描けている」と気に入って作品を購入してもらったこともあったそうだ。イカ釣りが好きな与儀さんは「アオリイカは供養のつもりで描いている」といい、よく見ると作品のあちらこちらにイカがいるのに気がついた。「マリオの隠れキャラのようなものです。ファミコン世代なので(笑)」作品に全力を尽くす与儀さんのこだわりと楽しさが細部にも散りばめられている。

アトリエ『soranoe』内には、絵画だけでなくクッションやスマホケース、マグカップなどの日用品も置かれている。

描いた作品を雑貨に落とし込むとき、広告会社で仕事をした経験や感覚が活きてくる。

売り込まずとも絵が営業してくれる

初めて絵の展示をしたのは十数年前。友人が開催するグループ展に誘われたのがきっかけだった。「そのころはアーティストで食っていこうというのではなく、グラフィックデザインをしながら絵を描いていた」自分で作品を売り込んだことは一度もなく、友人知人の紹介でだんだん広がっていったのは、与儀さんの人柄によるところが大きい。「作品を描いている時は自分の子ども、生み出したあとは自立して気に入られたところへ旅立つ」その意識で作品が自然に営業をしているのだろう。与儀さんはあるとき「アニメーションや映像作品を作りたい」と思い立ち、2年の歳月をかけて絵本『雨とヤリ』を完成させた。その絵本を那覇の桜坂劇場に置いてもらえることになり「それから絵の依頼が増え、雑誌に掲載されたりアレコレ呼ばれるようになった」最近はいろんな企業から『琉球イラストレーション』を使いたいと依頼がくる。締め切りを設定される仕事もあったが「自分の作品を書く時間もないのに、人のものを描く時間はない」と、今は既存のデザインを商品に使っていただいているそうだ。最近は商品化する際に切り取って使いやすいように、絵の輪郭を描くようになった。「それに気づいたのは、広告会社でいろんな製作物に関わった経験のおかげ」描いた作品をグッズに落とし込むとき、過去の経験が生きている。

10年後に完成する絵本

これからの活動予定についてお話を伺った。県内外で行われる展示会のほか、取り組んでいる最中なのは、干支のイラストや創作絵本『海の星(仮題)』など。『海の星』は画業の集大成にするべく2018年から描き始めたそうだが、現時点で4点目。「ゆっくり進めているので、10年後も『10年後に完成する』といっているかもしれない」と笑いながら語った。与儀さんは那覇で生まれ育ち、東京から戻ってきて宜野湾→北中城→コザに流れてきた。最初は事務所だけを考えて物件を探していたが、現在の『soranoe』の場所は「広いしギャラリースペースも作れる。県外からの見学の問い合わせにも対応できるし、引っ越してきてアーティストが多い場所だと知り、結果的に良かった」アトリエがなかったころは、絵を見たいという問い合わせに車に作品を積んで対応したこともあったそうだ。「ぼくは会いに行けるアーティストです」と語る与儀さんの作品を間近で見たいかたは、コザのアトリエ『soranoe』にGO!

進路の岐路に立つ学生のみなさんへメッセージ

進学や就職で迷う方に向けて、与儀さんよりメッセージをいただいた。「才能というのは、やりたいことがはっきりしていること、続けられること。この2つがあって形になる。センスはあとからついてくる」好きなことにコツコツ取り組んでいたら、アーティストの道ができていたという与儀さん。「やりたいことが見つかっているだけでも幸せ。自分が楽しいと思うことに正直に進むといい」と語る。学生時代は古代美術に興味を持ち、流行りを追う周りと違いマイノリティだった与儀さんらしく「『人と違う』を楽しめたらいい。自分の好きなことに蓋をせず、好きを育てていけるといい」と、そして「高校生はもっとギラギラして経験したほうがいい」とアドバイスをくれた。自分の好きなことをコツコツと続けていこう。諦めずにやりたいことを続けた先に、道は開ける。

Profile

与儀 勝之 Yogi Masayuki
1974年那覇市生まれ。沖縄県立芸術大学デザイン専攻卒。東京の広告代理店にてグラフィックデザイナーとして6年間勤務したのち、沖縄へ戻る。帰郷して改めて見た沖縄の豊かな自然の彩りや生命のたくましさ、伝統文化に感銘を受けて創作活動を始めた。沖縄の紅型・バリの影絵・螺鈿細工・浮世絵・縄文土器などの古典芸術などから影響を受けて確立した「琉球イラストレーション」グループ展や個展など、県内にとどまらず県外でも開催し、幅広くゆるやかに活動中。

information

art gallery|soranoe
〒904-0004 沖縄県沖縄市中央1-17-16
TEL : 098-988-7848
Mail : info@soranoe.jp

instagram|@masayuki_yogi
X(Twitter)|@yogima
online store|https://store.yogima.net/

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