お笑いコンビ・ハンジロウ

|目指せる学校タグ|#メディア・映像・アート

実家出るなら沖縄県内でも東京でも同じ!
どこに行っても助けてくれる人がいるから「大丈夫よ」
苦節を乗り越えた先輩からの心温まるメッセージ

Interview

コンビ結成から22年。高校1年生で芸人として活動を始め、沖縄のお笑い界で頭角を現し23歳で東京に進出。全国ネットのレギュラー番組に出演するなど幸先の良いスタートを切った2人だったが、徐々に仕事は減少。それでも解散や芸人を辞めるという選択肢は一度もなく、息の合ったコンビ芸で着実に目の前のチャンスを掴み活躍の場を広げてきた。そんなハンジロウの2人に、コンビ結成から現在に至るまでの軌跡と未来へ馳せる思いを伺った。

幼稚園からの幼なじみでコンビ結成

― コント動画で地元テレビに出演
しゅうごパーク(以下、しゅうご):たーにーとは城南幼稚園から一緒で同じ団地に住んでいました。中学2年生のときに、担任の美術の先生から表現の一つとして動画編集をやってみないかと声をかけられて。ならばお笑い動画を作って学校の人気者になりたいと思い、たーにーともう1人の幼なじみに声をかけて3人でお笑い動画を作りました。
たーにー:ちょうど『爆笑オンエアバトル(以下:オンバト)』(NHK)が始まった頃だったので、江戸むらさきさんのショートコントなどを参考にして3人でコント動画を作ったら大ウケして。夕方の地域ニュースでもその取り組みが紹介されました。

― 高校1年生でお笑いオーディションに挑戦
しゅうご:中学を卒業して沖工に入り、僕は土木科に、たーにーは工業化学科に入学しました。
たーにー:コイツは授業中いっつも寝ていて。何回停学になったんでしたっけ?
しゅうご:全部で8回。XXXとXXXで8回。
たーにー:書けるか記事に(笑)。
しゅうご:で、高1のときにオリジン(芸能プロダクション:オリジン・コーポレーション)主催の「新人発掘オーディション」があると知り、賞金5万円に目がくらんで。中2のときのお笑い動画で味を占めていたので、「これは出よう!」ということですぐに2人を誘いましたが、もう1人に断られ、たーにーと2人でオーディションに申し込むことになりました。

― コンビ名「しゃもじ」の由来
しゅうご:たーにーの家にFAXがあったので、申込み用紙に2人の名前と住所を書いて。そこに「コンビ名」という欄があったので、本当に適当に、FAXのそばにしゃもじがあったので「しゃもじ」と書いてFAXを送りました。
たーにー:目に付いたものですね。仮のつもりで付けましたが、ライブに出るようになりみんなが「しゃもじ」と僕らを呼ぶようになっていったので、気づいたらそのまま20年間活動していました。

― 初ネタは「UFO」
しゅうご:とにかくオンバト死ぬほど見て、全部録画して全部のテープを擦り切れるまで見て、痛い高校生なりにお笑いを研究した結果、シュールコントみたいなことをやりまして。まずオリジンの事務所でネタ見せをしたらえらいウケました。
たーにー:そのまま本選に出場し、決勝まで残りました。サラリーマン2人がひたすら「UFO」を踊るというネタでした。
しゅうご:そのときは僕がネタを考えて、「これやるぞ」と。ネタは中2で動画を作った後からずっと書き溜めていましたね。中3で受験勉強しながらオンバトだけは何回も見て、面白かったフレーズやどういう流れならウケるだろうかを考え全部ノートに記していました。

高校1年生でお笑い芸人としてデビュー

― 事務所スカウトで家族の反応は?
しゅうご:オーディションの決勝に残った僕らや三日月マンハッタン、当時、琉大生だったスリムクラブの内間政成さんなどは、後日、事務所に呼ばれスカウトを受けました。高校生で初めてライブに出たらウケて事務所にスカウトされ、「俺らは才能があるんだ」と有頂天になりました。
たーにー:高校生だったので3年間は預かりという形で事務所に所属して、高校卒業して本所属みたいな契約でした。その話に親はとてもびっくりして。親父が「何だその事務所。ちょっと会わせろ社長に」と言い出しオリジンの代表と飲んで、多分1日でめちゃくちゃ仲良くり、「もう任せた」ぐらいの感じになって。そこからですね。のびのびというか、堂々とお笑いをできるようになりました。
しゅうご:うちは親からは特になかったですね。中学生のときにお笑い動画を撮っていたので「こういう仕事をやりたいんだろうな」みたいな感じで。300人ぐらいお客さんが入る宜野湾の「ヒューマンステージ」で漫才やったのを親が見に来たことがあって、多分、そのときに納得したというか、この世界に飛び込んだんだって確信したのかなと思います。

― 芸人生活スタート
しゅうご:事務所に入ってからは毎月定期ライブに出させてもらい。ちょうどそのタイミングでオリジンが深夜番組をはじめたので、僕らは高1から番組のコーナーに出させてもらっていました。
たーにー:割とスタートは順調で、ちょっといい思いしたというか。「これはいけるぞ!」みたいな手応えはありましたね。

― 「沖縄No.1芸人決定戦」初代チャンピオンに
しゅうご:将来的には東京に行きたいと思い腰掛のつもりでオリジンに入ったのですが、「まだここで勉強することがあるな」と思い、高校卒業後もオリジンで活動を続けました。そして21歳のときに、『沖縄No.1芸人決定戦』という大会を沖縄テレビさんが正月の生放送番組でやってくださり優勝しました。
たーにー:優勝者で新番組を始めるというご褒美付きで、沖縄テレビのゴールデンのレギュラー番組を持たせてもらいました。そこから沖縄のいろいろなところでお仕事をいただき、バイトをしなくてもお笑いで食べていけるようになりました。
しゅうご:沖縄のレジェンド的な先輩方ともお仕事できるようになって、このままずっとここにいるのも幸せか……みたいな時期も一瞬ありましたが、ブラックマヨネーズさんから「自分ら東京か大阪に出ないのか?」って言っていただいたり、津波信一さんに「何で若い頃東京に行かなかったのかなって後悔している」という話を聞いたりして、「今出なければ」と思い23歳で東京進出を決めました。

上京初日に全国ネットの番組出演が決定!

― 順風満帆な東京進出
しゅうご:これがラッキーで、キャン×キャンさんがヴィジョンファクトリー(現・ライジングプロダクション)に所属していたので、「うちくる?」と言ってくださりトントン拍子に事務所が決まりました。部屋も玉城(俊幸)さんが事務所から借りていた桜新町のマンションの一室が空いているから「お前ら2人でその部屋に一緒に住めよ」と言ってもらえて。
たーにー:上京資金ゼロ、家賃ゼロで上京できるぞと思い即決しました。本当にオリジンの最後の月のギャラだけを持って東京に出てきた感じでした。

― 東京での暮らしで最初に感じたこと
たーにー:東京に来た感想は、やっぱり電車とかあんまり乗ったことがなかったし。空気がまずいなぁって(笑)。最初から都会過ぎましたからね、毎日渋谷か新宿に行っていたので電車でも街中でも人酔いしていました。
しゅうご:当時は下り電車に30分も乗ればめちゃくちゃ空気が澄んだところがあるということも知らなかったので、都心にいて鼻毛が伸びる伸びる。鼻くそが黒くなるみたいなのが衝撃でしたね(笑)。

― 上京1カ月でレギュラー番組出演
しゅうご:実は東京出てきて最初のスタートダッシュもめっちゃ良くて。上京したその日にフジテレビでネタ見せするように事務所から言われて。夕方ぐらいに飛行機降りて、そのまま大荷物を抱えてお台場のフジテレビに向かいました。
たーにー:それが『新しい波16』のオーディションとも知らずにネタ見せをしました。
しゅうご:とんでもない荷物を持っている奴らが荷物全部置いて漫才し出したら爆笑されて。「それ何?」って。「実は今上京しました」と説明したら面白がってくださり『新しい波16』の出演が決まりました。
たーにー:上京した1週間後にはフジテレビの番組に出演させてもらいました。それからすぐに、その番組の出演者から選抜メンバーを集めて新しいコント番組を作るという話が入り、ニッチェやかまいたちなど6組の芸人が選抜されて、上京から1カ月後には『ふくらむスクラム!!』(フジテレビ系)のレギュラー番組が決定しました。
しゅうご:『めちゃ×2イケてるッ!』『はねるのトびら』の流れを汲む番組だったので、メンバーに入ったら絶対売れると言われていたので、「売れた!」って思って。そこまでが一番調子が良かった時期ですね(笑)。

低迷期からの脱出、未来に馳せる思い

― 芸人の仕事が減り、東京でアルバイトを開始
しゅうご:でもその番組があまり人気が出ず1年で終わり。そこから10年ぐらい地下に潜っている感覚です。25歳ぐらいから、ゆっくりと芸人の仕事がなくなって、バイト始めて……。
たーにー:あれ? バイトしに東京来たつもりじゃなかったけどなって最初は思っていましたが、バイトしないと生活できないのでバイトがメインになってきて、事務所も辞めて。それでもウチナー繋がりの直案件とかは意外とありましたね。東京にいる沖縄の人から沖縄関連のイベントの仕事をもらって、そこで仕事をするみたいな感じです。

― コンビ名を「ハンジロウ」に改名
しゅうご:その後29歳のときにマセキ芸能社のオーディションを受けて、運良く入れて。そこからすごくゆっくり、牛歩のように階段を1段ずつ上がってきた感じですかね。2016年にDVDの全国販売もできたのですが、パッとしないまま気づいたら20年目になって。20年目で売れてないってまずいな、何か変えんとなって焦りました。
だーにー:ありがたいことに2022年の連続テレビ小説『ちむどんどん』(NHK)に出演させていただき、共演した片岡鶴太郎さんとお話ししているときに、僕らの「しゃもじ」というコンビ名が占いなどで良くないと言われている話になって。
しゅうご:ただの面白エピソードトークのつもりでしたが、鶴太郎さんがめちゃくちゃ真剣に、「適当につけた上に字画的にもダメだと言われている名前なら、本当に良くないと思うよ」って言ってくださり。
たーにー:じゃあ何個かコンビ名の候補を上げようかという話になり、その場にいた共演者の方々も一緒に考えてくださって。
しゅうご:何か変えたいと思ったタイミングだったので、コンビ名を変えるのもありかなと。しかも鶴太郎さんが後押ししてくださったので、このまま後見人になってもらおうと思いました(笑)。
たーにー:鶴の一声で(笑)。「尊敬する親族から名前をいただく」という案があったので、僕の祖父で東映の元映画カメラマン・仲沢半次郎の名前から「半次郎」がいいねって。島田秀平さんに字画を見てもらったらカタカナ表記にすれば運勢的には大大吉とアドバイスをもらい「ハンジロウ」に決定しました。
しゅうご:改名したら本当にちょっと良くなっていて、ここ2年ぐらい調子いいなって状態です。

― 今後の目標は?
たーにー:僕は沖縄でラジオとか番組とかやりたくて、沖縄の仕事をもっと増やしたいという気持ちがあります。そのために東京でいっぱい活躍したいなって思います。
しゅうご:沖縄出身の芸人と言えば「ハンジロウ」と答えてくださる方がいっぱいになったらうれしいですし、そうなることが目標です。

― 高校生へメッセージ
しゅうご:昔に比べて東京と沖縄の距離もだいぶ近くなっていると思うので、あんまりモノ考えないで気楽に上京していいと思います。みんないつかは実家を出るので、実家以外だったら沖縄県内でも東京でもあんまり変わらないですよね。
たーにー:少し前に母校で講演会をさせていただいたのですが、その時のタイトルが「大丈夫」でした。全てにおいて、「結果、大丈夫」なんですよね。沖縄で言う「大丈夫よ」っていう。本当にどこに行ってもマジ゙で助けてくれる人がたくさんいます!
しゅうご:どこにいてもウチナーンチュいますしね。那覇から名桜大学行くのも、那覇から東京に出るのも変わらない、大丈夫よ。
たーにー:僕その講演でもお話ししましたが、やっぱり引きこもるよりも動いた方がいいんです。東京で仕事がない時期に、あまりにも暇すぎてペットボトルの水を腐らしたことがあって。水ってカビが生えて腐るんだって初めて知りました。でも、何で腐るかっていうと、動きが止まっているから。ペットボトルを振ってさえすれば1週間経っても腐らないんです。人間の体も半分以上水でできているから同じ。じっとしていたら腐ってくるから動こうよって話しです!

― 常に学び、成長し続ける人生を楽しみたい
好きな言葉に、「知らないことを知ることは、曇った窓の曇りを取るようなこと」というものがあります。この言葉は友人から教わったのですが、聞いたとき、本当にその通りだなと共感しました。人は自分の知らないことを見聞きすることによって、それまでにはない価値観が生まれます。私も県外に出たり、海外に行ったりするなかで、文化の違いに驚くこともありました。けれどそれも含めて、たくさんの気づきと成長の機会が得られました。だからこれからも、どんどん世界に出て行き、知らなかった文化や環境、人との出会いによってもたらされる新たな価値観と成長を楽しんでいきたいです。高校生のみなさんも臆することなくチャレンジし学び続けるなかで、新たな発見と成長を楽しめるような人生になることを願っています。

information

ハンジロウYoutube

X (たーにー)@ta_ni_shamo

X (しゅうごパーク)@shamojipark

Profile

ハンジロウ/マセキ芸能社のお笑いコンビ
(たーにー、しゅうごパーク)
那覇市首里生まれ、沖縄県立沖縄工業高等学校出身。高校時代からアマチュアコンビ「しゃもじ」として沖縄県内で活動し、2003年に本格的に芸人活動を開始。2009年に活動拠点を東京に移し、フジテレビ系のレギュラー番組に抜擢される。2022年にはコンビ名を「ハンジロウ」に改名。2023年に「第5回 たけしが認めた若手芸人ビートたけし杯『お笑い日本一』」で優勝。2024年には『THE SECOND~漫才トーナメント~』のグランプリファイナルに出場する。

▶︎ハンジロウに関連するキーワードはコチラ

GO TO SCHOOL!! 2024.07

関連記事

  1. 画家・ファッションデザイナー・ASUKA

  2. イメージ

    「バレーボール選手」山内 美咲

  3. アトロン クリエイティブ エンターテインメント

    ATORON Creative Entertainment

  4. カメラマン ニライ

    「カメラマン」 ニライ

  5. JJ(ジェイ・ジェイ)

    フリースタイルバスケットボール・パフォーマー JJ

  6. きいやま商店

    「アーティスト」きいやま商店