沖縄三線シンガーソングライター・伊禮 俊一

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伊是名島で生まれ、旅立った道の先。
挫折を乗り越えて夢を叶えた先輩からのメッセージ。

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Interview

三線とギターを自由に使い、琉球民謡とポップス両方の要素を掛け合わせて独自の音楽を作り出す唯一無二のアーティスト伊禮俊一さん。伊是名島で生まれ、15歳で島を出て古典音楽を学び、メジャーデビューを果たした伊禮さんがこれまでに見てきた景色。決して順風満帆とはいえなかった音楽生活と、悩み苦しむ日々の中で支えになっていた故郷への思い。そしてこれから進むべき道について語ってもらった。

伊是名島で育ち、地元の先輩にギターを教わる

― 母の歌を聴き、自然と音楽に興味を持った
歌は子どもの頃から好きでしたね。母親が家でよく歌っていて、自然と耳に入ったという感じです。伊是名島に生まれて、小さな島だし、今みたいにインターネットもないから、情報は限られていたんですけど、近所に住んでいた先輩からギターを教わって、中学の頃には漠然とながら「音楽で生きていきたいな」と思うようになりました。
― 中学時代にクラスで歌う合唱曲を作曲
今でも覚えているのは、中学の合唱ですね。みんなで歌う曲をオリジナルで作ろうということになって、クラス全員で歌詞を書いたんですけど、その頃独学でギターを弾きながらすこし曲を作ったりもしていたから、僕が作曲をすることになって。生まれてはじめてちゃんと曲を作って、完成した曲をクラスのみんなで歌ったことはかなり強い思い出です。今思えば、そのときの経験が今に繋がっているのかもしれないです。

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南風原高校郷土芸能コースで古典音楽を学ぶ

― 15歳で島を出て本格的に音楽を学ぶため本島へ
伊是名島には高校がないので、中学を卒業すると、ほとんどの子は島を出て本島や県外の高校に進学するんです。ぼくも進学を考えるようになって、具体的にどこがいいというよりは、音楽が学べるところがいいということで、沖縄県内では唯一郷土芸能コースがある南風原高校に決めました。伊是名尚円太鼓というグループに所属して、太鼓をやっていたこともあって、郷土芸能にも興味があったし、島の先輩もいたので。

― 郷土芸能に没頭した高校時代
南風原高校の郷土芸能コースではいろんな郷土芸能を学ぶことができて、空手、舞踊、三線などから選択するんですけど、まず一学期はひととおりすべてを学んで、二学期からは自分に合ったものや将来目指したいものを選ぶことになっています。僕の場合は前から興味があった三線を選んで、卒業まで三線を学びました。

― 大学で最高賞を獲得し、音楽の道へ
高校を卒業した後は芸能以外の道に進む同級生も多かったんですけど、僕はやっぱりずっと音楽をやっていきたいという気持ちがあって、沖縄県立芸術大学に進み、琉球古典音楽コースでさらに勉強しました。4年次で最高賞を獲得して、なんとなく気持ちの上では一区切りついたところで大学を卒業して、その後は県内のライブハウスやビアガーデンで歌っていました。はじめは事務所や会社に所属していたわけではなく、個人で活動していたんです。

CDデビューと沖縄県内での音楽活動

― イクマあきらさんと出会いCDデビューへ
漠然とプロになりたいと思いながらも、どうしていいのかわからないまま、ひとりでライブハウスを回っていたとき、同じ伊是名島出身の先輩からミュージシャンでプロデューサーでもあるイクマあきらさんを紹介してもらったんです。曲を気に入ってもらえて、当時D-51やサースティロードが所属していた音楽事務所からCDデビューすることになりました。

― 理想の音楽を求めて
高校から大学まで琉球芸能を学んできましたけど、琉球芸能の世界は厳しくて、稽古の日程も多く、自分がやりたいことに割く時間の余裕がないことでフラストレーションがたまっていたところもありました。音楽でプロを目指すなら、琉球芸能よりもポップスだろうと考えていて、最初のうちは三線ではなくギターを使って活動するつもりでした。でも、プロデューサーから「むしろ三線を活かしたほうがいい」とアドバイスをもらって、確かに、あえて垣根を作る必要はないなと考え直したんです。ギターがうまい人はたくさんいるかもしれないけど、僕は三線で賞も獲っていたし、自信もあったので、学んできた琉球芸能の技術や表現を積極的に取り入れていくことにしました。

ライブで声が出なくなりステージ上で号泣

― メジャーデビューを目指すもうまくいかず悩む日々
沖縄県内で週に2、3回のライブを続けながら曲を作っていって、1枚目のアルバムをリリースした頃には、全国進出を考えるようになっていました。メジャーレーベルからのデビューを目標に東京のレコード会社を回ってアピールしていたのですが、なかなかうまくいかなくて……。なにかが足りない。でもそれがなんなのかわからない。そんな葛藤と焦りの中で、とにかく実力不足を補うためには練習しかないと毎日歌って、弾いてという日々を送っていました。そうしたらある日、突然声が出なくなってしまったんです。

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― ストレスと疲労で声が出なくなり夢をあきらめかけた
喉を使いすぎたせいか、思ったように活動できないストレスのせいかはわからないですが、すこしずつ違和感を感じるようになっていました。うまく説明できないんですけど、歌い方を忘れてしまったような、声がマイクに乗らないような、不思議な感覚でした。まったく声が出ないわけではないので日常生活には影響ないんですけど、プロとしてステージで歌うにはかなり厳しい状態でした。それでもすでに決まっているライブをキャンセルすることはできないので、だましだましどうにかやっていたのですが、ついに限界がきてしまって……。

― 大晦日のイベントで泣き崩れる
忘れもしない2008年の大晦日。その日は2本ライブがあって、カウントダウンの一番盛り上がるステージで、まったく声が出なくなってしまって……。精神的にもかなり追い込まれていて、その場で泣き崩れてしまいました。そのときは、もう終わったな、と思いました。

思いがけない偶然が重なり、転機へ

― ストリートライブ中に訪れた偶然の出会い
大晦日の事件があってから、さすがにかなり落ち込んでいたんですけど、当時のマネージャーが「声が出ないことを気にせず、好きなように思いきり歌ってみれば」と言ってくれて、すこし救われた気がしました。その日はちょうど北谷町美浜でストリートライブがあったので、なかばやけくそで思いきり歌いました。なにをどんなふうに歌ったかは覚えていないですね。ただ、その日偶然通りかかった観光客の家族連れが、今の事務所の社長の家族だったんです。

― 複数の偶然が重なりあって念願のメジャーデビュー
家族旅行で沖縄に来ていた芸能事務所社長が、たまたま僕がストリートライブをしていた場所を通りかかるだけでもなかなかないことですけど、それだけでは「いい歌だね」で終わったと思います。あとから聞いた話なんですが、旅行が終わって空港に向かうとき、レンタカーを返して送迎バスに乗ったら、バスの中で僕の声が流れてきたんだそうです。実はそのレンタカー会社の社長さんはデビュー当時から僕を応援してくれている恩人で、毎日送迎バスのBGMとしてCDを流してくれていたんです。そこで、「この歌手は誰?」ということになり、当時の沖縄の事務所に連絡がきたんです。そこから先はあっという間でしたね。あんなに苦労してレコード会社を回ったときはすこしも前進できなかったのに、あきらめたかけたときに偶然声がかかって即メジャーデビューですから、人生わからないですよね。

伊是名島の家族や友人がデビューを祝福

― あえて拠点を沖縄に残したままで活動
あらゆる偶然が重なって所属することになった事務所には10年以上たった今もお世話になっています。東京に拠点を移すという話もあったんですけど、地元への思い入れもあったし、なによりも東京に住んで沖縄の音楽をやっても受け入れられないんじゃないかと考えて、沖縄にいながらライブやメディア出演のたびに東京へ通うというスタイルを選びました。わがままを許してくれた事務所には感謝しています。

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― 不安を抱えた中での音楽活動
ずっとメジャーデビューを目標にしてきたので、もちろんうれしかったですけど、感動よりも不安のほうが大きかったのが正直なところです。声は相変わらず出なくて思うように歌えない状態でも仕事はどんどん決まって、露出も増えていくし、恐怖に近かったですね。楽しむ余裕はなかったです。ただ、地元の家族や友達が喜んでくれたことは素直にうれしかったです。特に父は、いい年齢をして音楽ばかりやっている長男を心配して、就職しろと言われることもあったので、安心させられたことは、自分でもほっとしました。

― すこしずつ声が戻り、音楽を楽しめるように
好きでやっていた音楽ですけど、声が出ない状況が長く続き、ストレスとプレッシャーで体調を崩して入院もして、はじめのうちはかなりきつかったです。事務所のサポートもあって、すこしずつ声が戻ってきて、歌えるようになっていきました。今思えば、無理に高いキーを出そうとしたり、自分に合っていない歌い方をしていたりということがあったのかもしれません。

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目標を見いだせなかった時代

― 明確な目標を持たないまま活動を続ける日々
デビュー時にメディア取材や関係者との話の中で目標を聞かれることも多かったんですけど、オリコン1位だとか武道館だとか、そういう明確な目標は持っていませんでした。持てなかったというほうが近いかな。当時はまともに歌えるようになることが目標だったので。売れたいとか有名になりたいとかそういう欲望みたいなものは今もあまりないですね。ただ、死ぬまで音楽をやっていたいとは思います。

― 全国各地を回って人や地域とのふれあいで心癒される
おかげさまでいろんなところでライブをやらせていただいて、47都道府県のうち40カ所くらいは行ってるんじゃないかな、どこも楽しい思い出ばかりです。沖縄ももちろん好きだけど、その土地その土地の空気を感じられるのが楽しみですね。東北では津軽三味線とコラボしたり、沖縄にいては得られないインスピレーションをもらえます。

目標がなかった自分の新たな目標

― 10年ぶりのアルバムリリース
コロナ禍になってからは、それまでのようにライブで全国各地を巡るのも難しくなってしまって、予定していたライブやイベントが中止になることもあり、さすがに落ち込んだ時もありました。でも、くさっていても仕方がないし、前向きに考えようと思いなおしました。そんな中で、今年は僕にとって転機となるアルバム「南国ビート」をリリースしました。アルバムのリリースは10年ぶりということもあって、こだわりを詰めた一枚になっています。インディーズ時代の代表曲「夏鮮想歌~かっせんそうか~」、「ハイサイ沖縄ぬちゅらかーぎー」、メジャーデビュー曲「先生」も新たにレコーディングして、新しい伊禮俊一を見せられたと思います。このCDを多くの方に聴いていただくことが今の僕の目標ですね。

― 夢を叶えるために必要なこと
何十ものレコード会社に断られて、声も出なくなってしまって、もう死んでしまいたいというところまで追い込まれたどん底の頃を振り返ると、今も胸がぎゅっとなりますね。27歳までにデビューできなかったら音楽の世界で生きていくことは諦めて、ほかの仕事をしようと考えたときもありました。でも今考えてみれば、本気でやめようと思ったことはないんじゃないかな。音楽以外の仕事をしている自分を想像することができないというか。もともと楽観主義なのかもしれないですね。落ち込んだときもありましたけど、ピークを越えると逆に開き直れちゃうというか。でも、自分が本気であきらめていたら、周囲の人たちの助けや偶然の出会いがあったとしても、夢の実現はできなかったんじゃないかな。そう思います。最終的には「思い」が一番大事ですから。厳しい道のりに見えても、今が苦しくても、「思い」があれば可能性は消えない。挑戦はいつもだれでも怖いのが当たり前。怖くてもつらくても、「思い」を持ち続けてほしいと思います。これを読んでいる人の中にも、自分がやりたいことをするため、なりたい人になるために迷ったり悩んだりしている人がいるかもしれません。もし僕がアドバイスできるとしたら、それだけはいえると思います。

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「口下手なんですよ」と笑いながら、過去の経験や故郷の思い出について冗談を交えつつも真剣に語ってくれた。小さな島から飛び出して、大きな舞台へ挑戦し続ける姿に勇気をもらえる若者もきっと多いことだろう。

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伊禮俊一10年ぶりのアルバム「南国ビート」リリース。
沖縄に訪れると感じる「人や土地の魅力」、すべてを受け入れてくれるような、ゆるゆるした上下左右ない包容感。なぜか、帰ってきたような癒やしの空気感。そんな素敵なおきなわを詰め込んだ歌詞と爽快なリズムで送る、アルバムタイトルで新曲の「南国ビート」。亡き祖父への思いを綴った「プレシャス デイズ」。三線の新たな魅力が感じられる伊禮俊一の名曲のリカバー。アレンジャーDJ SASAによる爽快な沖縄民謡とカバー曲。最高に南国なアルバムが完成しました。

南国ビート
¥2,000(税込)
販売サイト
https://shunichi.base.shop

Profile

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伊禮 俊一/沖縄三線シンガーソングライター
Shunichi Irei
沖縄本島の北に浮かぶ小さな島、伊是名島(いぜなじま)出身。
10代から三線を取り入れた新しいスタイルの楽曲作りをはじめ、2007年1月に「夏鮮想歌~かっせんそうか~」でインディーズデビュー。2010年5月、ビクターミュージックよりシングル「先生」でメジャーデビュー。サマーソニック、神宮花火大会・24時間TV・NHK『SONGS』などにも出演し、沖縄県内外で活躍中。2022年4月に、10年ぶりとなるアルバム「南国ビート」をリリース。
沖縄県立芸術大学・琉球古典音楽学科卒業。
琉球古典音楽・安富祖流弦声会、三線の教師免許も持つ。

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GO TO SCHOOL!! 2022.07

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