「シルク・ドゥ・ソレイユ」オーディション合格!!前人未到の快挙を成し遂げたその男の名はJJ(ジェイジェイ)。内閣府事務官の職に就くなか、「フリースタイルバスケットボール」の魅力に傾倒。国内外のパフォーマンスショーで優勝、自らも起業しプロデュース業に打ち込む……
沖縄エンタメ界をリードし続けるJJの「これまで」と「これから」に迫る。
「フリースタイルバスケットボール」とは……
バスケットボールを使った、音楽とダンスを融合させたパフォーマンス競技。超高速ドリブルや多彩なボールハンドリングなどアクロバットなプレースタイルが、若者を中心に人気を博す。クールなファッションや、ボールひとつでプレーできる手軽さ等が受け、世界中で競技人口が増えている。
Interview
小中学校時代は「いたってフツー」と語るJJ。高校は名門興南高校バスケットボール部に所属。
「あいつ(JJ)が一番最初に辞めると思った」と仲間たちに言わしめながらも、がっつり「体育会系」の青春時代を過ごす。
学生~国家公務員を経て、世界的パフォーマーにまでなったJJの原点を追ってみる。
「カッコよさ」を追求できるのがプロになってよかった事!
「フリースタイルバスケットボール」パフォーマーJJ。ストリート系ウェアに身を包み、バスケットボールを使った華麗なパフォーマンスが人々を魅了する。国内大会での優勝を経て、活躍の場を世界に広げる彼の行動力と熱いメッセージは強い影響力を持つ。自らもマネージメント会社「琉球パフォーマーズコネクション」を立ち上げ、沖縄のエンターテインメントシーンを席捲。「大変じゃないですか?」との問いにも「まったく(大変じゃない)! カッコよさを追求できるのは、プロになってよかった事です」と語る。そこには「結果」だけでなく「過程」も大切にするJJの哲学が垣間見える。そんな彼を育んだ学生時代を紐解いていく。
中学校は3か月でバスケ部を辞めました。キツかったんで(笑)
世界的なパフォーマーよろしく、ストイックでハードな幼少時代を過ごしたのかと思いきや、いたってフツーな小中学生を過ごしたと語るJJ。「いわゆる不良でもなく、もちろんガリ勉でもなく、ぷらぷら~としてました」。兄姉の影響もあって中学校ではバスケットボール部に入部。しかしたったの3か月で退部することに……「キツかったんで辞めました(笑)。それでまた、ぷらぷら~としてました」と、あっけらかん。しかし当時の父親の言葉は印象に残っていると言う。「人の役に立ちなさい」そう語る父親の背中は後のJJに大きな影響を与える。
会社経営、農業、食品販売業……
起業家マインドに満ちた父親の背中
JJの父親は、建設会社経営、マンゴー農家、ノニジュース製造業といくつかの起業を行い、宮古島出身で那覇に移り住んだ苦労人。時代的にも、当時はレアな「起業家マインド」に満ち溢れた人物だ。ノニジュース製造会社を経営の頃、「無いから」との理由で、工場の機械設備を自ら作っていたという。「ええ!?自分で作るの??」と若かりしJJの度肝を抜いた。しかし「無いなら作ればいい」「無から有へ」というフロンティアスピリッツこそが、パフォーマーJJの精神的土台のひとつであることは間違いない。沖縄から日本、日本から世界へ、臆さず行動に移せるマインドは代えがたいものである。
県内屈指の体育科有する興南高校へ。バスケに注いだ青春時代
中学時代は3か月で終えたバスケットボールだが「高校になったら本気で打ち込む!」と心に誓うJJ。本来の高い身体能力と集中力で、県内トップレベルの体育科をもつ名門興南高校に、スポーツ推薦で入学。もちろん野球部は甲子園で名を馳せており、同じくバスケットボール部も県内有力選手たちが集まっていた。周りは自分より遥かに大きい選手や、小さくともテクニックがズバ抜けた選手と、文字通り手も足も出なかったという。「あいつが最初に辞めると思った」と当時の仲間たちも語ったほど。それでも3年間をがむしゃらにバスケットに打ち込めたのも、「バスケが楽しかったから」と軽やかに笑う。一方で、当たり前のように私学にいれてくれた父親には感謝しかないという。「決して今の状況は当たり前ではない!みなさんも大事に今を生きてほしい!」と熱く高校生時代を思い返す。
国家公務員に向けて猛勉強!「人の役に、地元の役に立ちたい!」
高校卒業後は「就職しようか?進学しようか?」と思い悩むJJに、先述した父親の「人の役に立ちなさい」という言葉が思い返される。「人の役に、地元の役に立ちたい!」と一念発起し、公務員になるための専門学校へ進学。その傍らで趣味のバスケットボールも続け、仲間たちとのプレーが専門学校生活を彩る。そして公務員試験半年前には、生活すべてを試験勉強のためにそそぐべく、バスケットボールや友人との連絡は封印し、頭に10円ハゲができる程に自分を追い込む。さすがに父から「少しは休め!」と心配の言葉も。その甲斐あってか、見事試験に合格!翌春から内閣府事務官として勤務することとなった。しかしあまりの猛勉強のため、単位が足りず専門学校の卒業自体が危うい事に。先生には特例で、論文の卒業課題を出してもらい無事に卒業も叶った。「あの時はヤバいと思いました(笑)」と振り返る。
国家公務員生活スタート!ハードだったが、すべてが今に役立っている
2000年沖縄で公務員としての生活をスタートさせる。2004年には「中央で勉強してこい!」と東京・霞が関へ出向、予算要求や用地買収など厳しい業務をこなす。「当時の仕事はハードでしたが、すべてが今に役立っている」と語る。実際に外回りで折衝する時のコミュニケーション能力や、説明資料を作成する際のプレゼンテーションのやり方……これらのスキルは、代理店さんへの営業や出演交渉のやり取り等でとても役立っているという。「何事も真摯に取り組めば、血となり骨となり自らを助ける」とJJは身をもって教えてくれる。日々謀殺されながらも趣味のバスケは続け、勤務後や休日にはコートに赴く。そして、人生を激変させた「フリースタイルバスケットボール」に出会う。
運命的な出会い「選手」から「パフォーマー」へ
「フリースタイルバスケットボール」……当時の東京でも、人気に火が付き始めるかどうかという頃だが、JJは「これだ!」と直感する。自身の練習でやっていたボールハンドリング(テクニックを有するトリッキーなボールさばき)と、「フリースタイルバスケットボール」のスタイルが完全にシンクロ。バスケットボールの「選手」から、フリースタイルの「パフォーマー」としてのスタンスが芽生え、「フリースタイルバスケットボール」にドップリとのめり込む。持ち前の集中力でメキメキと技術を上げていくと、その腕前を披露するべく大会にもエントリ―。各大会で上位入賞など果たし、パフォーマーとしての自信もついてきたJJ。だがそんな彼に別の思いが、のしかかる。
プロでチャレンジしたい!でも一歩踏み出せない自分に悶々とする
日本一のパフォーマーを決める大会「FREESTYLE BATTLE」で、ベスト4進出、関東ラウンド優勝、全日本大会優勝と着実にキャリアアップを重ねるJJだった。しかし(それはそれでスゴイのだが)国家公務員という保障された中で出した結果。「独立してプロでチャレンジしたい!」という気持ちと安定を求める気持ちとの間で「毎日悶々としていた」と語る口も重い。一歩踏み出す勇気の持てない自分を反芻する中、心を奮い立たせてくれたのは、父親の「死」だった。癌の宣告を受け、わずか、3か月でこの世を去った。人間いつ死ぬかわからない。「チャレンジするなら今しかない」そんな父親からの最後のメッセージだったのかもしれない。JJは独立を決意する。
公務員退職はSNSで気づかれる「あれ? あいつ昼間からバスケやってね??」
「国家公務員を辞めるにあたって、誰かに相談しましたか?」との問いかけにJJは即答「いえ、誰にも!だって反対されるから(笑)」。思い立った彼の行動は早い。家族や友人がその動向に気づいたのはSNSの投稿画像からだとか。「あれ?あいつ昼間からバスケやってね??」と(苦笑)。パフォーマンスの向上に昼夜トレーニングに励むJJ、一方で自らのプロデュースも欠かさない。プロフィールや活動報告・アピールポイントなどをレジメにまとめ配布。広告代理店や制作会社に営業をかけ、1日3件は回っていたという。公務員時代の事務作業がこういう所で生きていると振り返る。国内トップパフォーマーの礎、実はこんな所にあるのかもしれない。
ラスベガス「ビバフェスタ」優勝!
シルク・ドゥ・ソレイユへの扉が開かれる!
「世界で通用するパフォーマーになりたい!」意を決してラスベガス「ビバフェスタ」に出場する。実力を試すつもりが、なんと……優勝!しかしここでは終わらない。審査員の一人にシルク・ドゥ・ソレイユの関係者が。その彼女から声がかかる「うちのオーディションを受けてみないか?」もちろん「出ます」。インタビュー時もJJの鍛えられた体が物語っている「いつどこでも最高のパフォーマンスができますよ」と。そんな彼だから、臆することなく世界レベルのオーディションに参加したのだろう。そしてそんな彼だから、「シルク・ドゥ・ソレイユ」に合格したのだろう。
僕もここからが本当の勝負!みなさんもどんどん世界に羽ばたいてほしい!
「シルク・ドゥ・ソレイユ」オーディションに合格したものの、「まだパフォーマーとして登録されただけ」とJJの目は険しく先を見つめる。「舞台監督からの出演オファーがかかって初めて、本当の舞台に立つことができる」とショービジネスの世界はどこまでも厳しい。パフォーマーとしても自己研磨する日々だが、「琉球パフォーマーズコネクション」の代表として、企画・演出・後進育成・営業と奔走する。観光業で元気な沖縄だが、「唯一足りないピースはエンターテインメント」と危機感が募る。「ショーを見るために来ました」と観光客が集う劇場を作りたいと、夢はどこまでも大きい。父親の「人の役に立ちなさい」という言葉を胸に沖縄の明るい未来を話すJJの今後の活躍に目が離せない。
最後に尋ねてみる「今このインタビュー後に舞台監督のからのオファーがきてたらどうします?」JJはすかさず応えた「すぐ行きます!!」
Profile
JJ(ジェイ・ジェイ)
日本を代表する「フリースタイルバスケットボール」パフォーマー。興南高校出身。内閣府勤務を経て独立する。バスケットボールパフォーマンス日本大会で優勝し、日本フリースタイル界から「レジェンド表彰」を受賞。2019年「シルク・ドゥ・ソレイユ」のオーディションにも合格し、世界に認められたパフォーマーとなる。
北谷町安良波ビーチ近くにあるお洒落なカフェ&服屋「Big Knot」。取材場所として協力していただいたカフェ・スペースで提供しているのは「チキン・オーバー・ライス」。ターメリックライスとスパイスが効いたチキンの相性はバツグン! テイクアウトもできるので、ビーチへのお供に是非。
◎取材協力
Big Knot(ビッグノット)
〒904-0116 沖縄県中頭郡北谷町北谷2-2-10
TEL:098-953-3756 11時~21時、金・土〜23時
月曜定休(月曜日が祝祭日の場合は火曜日) 駐車場あり
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Catch the Dream 2019.10