五感と五官を研ぎ澄ませて人生に向き合い、
すべての感情と経験を呑み込もうとする。
ひたむきで貪欲な役者の姿が、そこにはあった。
役者は生きる事が仕事。
すべてが芸の肥やし、「演じる事」の材料になる。
Interview
柔らかい物腰と、時折見せる屈託のない笑顔。沖縄らしさを端々に感じさせる気さくな普段の姿から一変、役者としてのスイッチが入ると、アンニュイな表情や真剣な眼差しをカメラに向ける、役者「嘉人」へと変貌する。「表現する事が好き」…そう気づいた時から、がむしゃらに役者の道を模索した日々。苦労や挫折を味わいながら、それすらも「糧」にする―。しなやかさの中に潜むタフネスを武器に、役者としてのキャリアを着実に積み重ねる嘉人さんに、この道に進んだきっかけや、これまでの経験など、様々なエピソードを聞いた。
目立ちたがり屋だった子供時代と、サッカーに明け暮れた小・中学生時代。
小さな頃から、目立つ事が好きでした。子供だったので、目立ちたいとバカな事をしては、親に「フラー」と怒られていましたね(笑)。小学生の時にサッカーを始め、高1の途中まで続けていました。中学生の時には、沖縄県選抜に選ばれたんですよ。本当に熱中していて、「やるからには、将来はプロのサッカー選手になるんだ」と、当時は本気で思っていました。それくらい真剣に取り組んでいたんですが、次第にサッカー選手としての自分に限界を感じるようになったんです。
高校での出会いが、最初の転機に。
— きっかけは、入学式当日に誘われたライブ
高校の入学式の直後にあったライブがきっかけとなって、高1の途中でサッカーはやめてしまいました。入学式の当日、先輩たちに「後でライブをやるから、おいで」と誘われて、観に行ったんです。そこで衝撃を受けたんですね。「カッコイイ!!」って(笑)。プロのサッカー選手になるには厳しいと感じ、「高校では、何か新しい事を始めたい」と考えていた矢先、このライブは僕に強烈な印象を残しました。それで、「バンドをやろう」と決めたんです。そうしてバンドを始めて、ハードコアバンドのヴォーカルとして活動するようになりました。この頃、中学、高校の先輩だったかりゆし58の真悟さん(前川真悟氏)にすごくお世話になりましたし、大きな影響を受けましたね。真悟さんからは、色々な音楽を教えてもらいましたし、よくライブのアドバイスを頂きました。また、表現者として、そして、人間として影響を受けた部分も大きかったです。真悟さんとは、音楽の話だけでなく、人生の話…例えば、「粋な生き方とは何か」「どのように生きる事が大切か」なんていう話をよくしていました。
途中でボイコットしてしまった就職研修。それが歩むべき道を見つけるきっかけに。
— 本当にやりたい事は何か。改めて考える契機となった就職研修
バンド活動に熱中した高校時代でしたが、卒業後は、県内の専門学校に進学し、デジタルデザインについて学びました。専門学校生だった20歳の頃、就職研修があったんですね。会社で実際に仕事を体験する、という内容だったんですが、実は、その時に行った先が、今回このインタビューのオファーを頂いた、ハンズさん(株式会社ハンズ・コム)だったんです! このお話を頂いた時、感慨深く思うと同時に、「不思議な巡りあわせだな」と思いました。というのも、就職研修でハンズ・コムに行った事が、役者の道へ進むきっかけになったからです。研修を受けた時、仕事をしている自分に違和感を覚え、「本当にやりたい事はこれなのか?」という思いにかられました。それで、研修を途中でボイコットしてしまったんです(笑)。決して褒められた話ではないのですが、これが自分と向き合う動機になって、自分がやりたい事は一体何なのか、改めてじっくり考えてみることにしたんです。そうして気づいたのが、「表現する事が好き」だという事でした。
— どのように表現するのか
当初、音楽で表現する事も考えました。専門学校に入ってからもバンドは続けていましたし、やっぱりハードコアが好きだったんですね。でも、同時に考えたのは、自分のバンドの音楽性の事。現実的な話になってしまいますが、ハードコアという音楽のジャンルは、決して万人受けするものではありません。だからと言って、売れる音楽にシフトチェンジしたいかというと、それはやりたくないなと。そう考えて、音楽で表現する道は諦めました。では、どうするのか。そこで気づいたのが、「出演する側になりたい」という事。実は、僕は昔から映画が好きで、家族みんなでよく映画を観ていたんです。最初のうちは、一人の観客として映画を観ていたんですが、次第に、「観る側」から「出演する側」になりたいと思う気持ちが生まれていたんですね。その気持ちをうっすらと感じてはいたのですが、自覚するところまでは至っていなかった。でも、この就職研修ボイコット事件をきっかけに、「役者になりたい」という気持ちにはっきりと気づく事ができたんです。
「役者になりたい」その一心で、暗中模索したバイト時代。
役者になりたいと思ってから、すぐに専門学校は辞めました。親とは大げんかしましたね。そして、国際通りにある、観光客向けの土産物屋でバイトを始め、3ヶ月間、寝る間も惜しんで働きました。当時、役者になるために、まずは東京に出なくてはいけないと思っていたので、上京するための資金を貯めようとしたんです。今思えば、沖縄にも劇団があるので、まずはそこを訪ねてみれば良かったんですが、当時はそこまで考えが及びませんでした(笑)。ある時、来店したお客さんから、「君、役者になってみたら?」と言われたんですね。それで、「役者になるにはどうしたらいいですか?」と聞いたんです。そうしたら、オーディション雑誌やタレント名鑑を読むといいよ、という事だったんで、オーディション雑誌を読んで、気になるものに応募してみたんです。この時に受けたオーディションが最終選考まで進んだので、これを機に、東京にいる友達を頼って上京しました。結局、そのオーディションには落ちてしまいましたが、その後も様々なオーディションを受け続けました。バイトで生活費を稼ぎ、居酒屋なんかで知らない人に話しかけては、「役者になりたいんですが、芸能関係の知り合いはいませんか?」と聞いていましたね。とにかく、役者になるための糸口をつかみたいという気持ちで無我夢中でした。実は、僕と同じ1982年生まれの役者さんには、小栗旬さんや藤原竜也さんといった方がいます。彼らは10代の頃から役者の仕事をしていて、僕が役者を目指した当時、すでに第一線で活躍していました。「彼らと同じ舞台で仕事をするんだ」という事が、当時の目標になっていましたし、モチベーションにもなっていました。
第二の転機となった、殺陣との出会いと大河ドラマ出演。
— 殺陣との出会いが自分を変えた
そんなある日、「殺陣をやってみたら?」というアドバイスをもらいました。なんでも、長回し(カットせず、そのままカメラを回して撮影する事)で殺陣をできる役者は意外に少ないから、それができるときっと重宝されるだろう、という事だったんですね。それを聞いて、すぐに殺陣を習い始めました。僕の殺陣の師範は林邦史朗先生といって、NHK大河ドラマの殺陣指導を行っていた方です。林先生は、武道としての殺陣を極めつつ、演技としての殺陣を編み出した方でもあります。殺陣との出会いは、僕の人生を大きく変えました。殺陣を始めた事で、色々な役者さんと知り合う事ができ、役者になるためのアドバイスをたくさん頂きました。その中でも、「役者になって最初の現場は選んだ方がいい」というアドバイスが、後々、自分の役者人生の方向性を決めるものとなりました。また、精神面での成長も大きかったですね。林先生からは、演技としての殺陣はもちろん、武道としての殺陣も学びました。それまで、僕には精神的に弱い部分があったのですが、殺陣によって「何事にも動じない心」を身に付ける事ができたのではないかと思います。おかげで心臓に毛が生えて(笑)、今、役者の仕事をする上でとても役に立っています。
— 目指すレベルを教えてくれた、
大河ドラマ出演。
そんな中、僕にチャンスが訪れました。大河ドラマの「功名が辻」に出演する事ができたんです。これが僕の初出演作です。小さな役で、斬られ役でしたが、この時の経験が、役者として目指すレベルを教えてくれました。なぜなら、大河ドラマに出ている役者さんも、裏方として働くスタッフの方も、皆、一流の方たちばかりだったからです。ここで、一流の方の仕事ぶりはもちろん、立ち振る舞いも勉強させてもらいました。この仕事をした事によって、「ここを目指そう」という新たな目標ができたんです。
第三の転機となった「琉神マブヤー3」と、役者としての新たなステージ。
— これまでの自分の集大成を
ぶつけるつもりで挑んだ
役者の仕事をする中で、僕には一つのジレンマがありました。それは、映画や舞台を中心に活動していたため、沖縄での認知度が低かった事です。そのため、地元に帰るたび、色々な人に「本当に役者の仕事をしているの?」「全然売れてないよな」なんて冷やかされていたんですね。そう言われるたび、悔しい気持ちになりましたが、その一方で「やっぱり売れなきゃダメだな」と思ったわけです。そこで、「仕事以外で沖縄には帰らないぞ」と心に決めました。その後、沖縄には帰らずに、役者としてのキャリアを積んでいきましたが、いつしか「沖縄でも仕事ができたらなぁ」と思うようになっていましたね。そんな時、たまたま「琉神マブヤー」の制作に携わっている会社の方と知り合い、「琉神マブヤー3」が制作される事と、オーディションがある事を教えてもらったんです。僕は、登場人物の一人である、謎の青年「ニフェー」役のオーディションを受け、幸いにも合格する事ができました。そこで、「これまで役者として培ってきたすべてをぶつけるつもりで演じよう」と。そういう気持ちでこの役に取り組むと決めて、撮影に臨んだんです。
— 役者としてのレベルを
引き上げてくれた「琉神マブヤー3」
今の自分の集大成をぶつけて演じた「ニフェー」役でしたが、終わった時に、いい意味で欲が出ました。どんな役を演じても、僕は最後に必ずその仕事を振り返り、反省するのですが、この時は今までとは違うレベルで反省できました。一本の作品に対する姿勢や役の広げ方について、これまでにない気づきがあったんですね。終わった時に、今までとは違う景色が見えたというか…。「琉神マブヤー3」への出演は、僕を役者として一つ上のレベルに引き上げてくれたと思います。新垣正弘さんをはじめ、地元の劇団の役者さんや歌手の方など、キャリアのある大先輩たちが、魂を込めてこの作品に取り組む姿は本当に素敵で、学ぶところがたくさんありました。そして、自分と同世代の沖縄の役者さんからも、非常に刺激を受けました。この作品で沖縄のエンターテインメントに触れ、作品に携わる先輩方の背中を見た事で、「こんな風に、面白い作品を作り上げていける人間になりたい」と思うようになったんです。また、「琉神マブヤー3」がきっかけで、それまでよりも、番手が上の役がもらえるようになりました。それに、年に1、2本、沖縄で仕事ができるようになったんですよ!
生きている事。そこで感じるすべてが、役者にとって材料となる。
— 2つの作品が教えてくれた事
「琉神マブヤー3」の後、「葬儀人アンダーテイカー」という映画で主役を演じました。実は、「琉神マブヤー3」の撮影終了から三週間後に「葬儀人アンダーテイカー」の撮影があったんですね。「琉神マブヤー3」の「ニフェー」は空手家の役なので、トレーニングして10㎏以上増量したんです。でも、次の「葬儀人アンダーテイカー」の役は、痩せた男という設定でしたので、この時、わずか三週間で15㎏以上も体重を落としました。大変でしたが、「役者をやっている」という実感があって、ちょっと嬉しかったですね(笑)。この2つの作品で演じた役は、見た目こそ違いますが、「どこか影のある、暗い役柄」という部分では共通していました。そんな2つの役を演じた事で、発見があったんです。それは、人生で起こる事のすべてが、芸の肥やしになるという事。これまで落ち込む事もたくさんありましたが、それでも生きなければならないわけです。ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、全部呑み込みながら生きていく。そうやって生きる事が、すべて演じるための材料になると解ったんです。「役者は生きる事が仕事」。この2つの作品は、僕にその事を教えてくれました。
— 役者をやめない事。
そして、生き方がすべてだという事。
僕はまだ、知名度という点では足りない部分があります。なので、もっと売れる役者にならないといけません。そのためには、役者をやめない事が大切だと思っています。役者という仕事はもちろん、表現者としての自分にどう向き合っていくか。この事を考えれば考える程、生き方がすべてだと思うようになりました。今、自分を鼓舞しているのは、役者をやめない事、そのためには、生き方がすべてだという、この2つです。あと、「大変な事が起きれば起きる程、ラッキー」だと思うようにしています。その方が、表現者としては面白いんじゃないかなって。もちろん、幸せな方が良いに決まっているんですけど、大変な事があっても、それさえも幸せだと思ってしまう方が、役者としての経験値になると思っています。
今後の目標と夢
今後の目標は「賞を獲る事」です。主演でも助演でも良いので、この仕事で賞を獲りたいと思っています。以前、ショートフィルムに出演した事があって、その作品で、インディーズ映画の映画祭に俳優賞でノミネートされたんですが、残念ながら受賞できなかったんです。すごく悔しかったですね。そこから、賞を獲る事が僕の目標になっています。あと、これまでずっと殺陣をやってきたんで、僕の考える殺陣を使って、海外の方との交流を深め、新たな表現を模索したいという夢もあります。
人生において無駄になる事は何もない。勇気を持って、まずは進んでみて下さい。
— 沖縄の高校生にメッセージ
不安も失敗も、人生において無駄になる事は何ひとつありません。今の自分を受け止めつつ、未来につなげていく事が、10年後、笑顔の自分につながると思います。「生きる事が仕事」という話を先程しましたが、これは役者に限らず、どんな仕事にも通じる事なんじゃないかと思います。誰だって嫌な思いはしたくないでしょう。でも、そういう負の経験も受け止めて、「じゃあ、ここから自分はどうしようか」と思う方が、人生は面白くなるし、きっと素敵な人間になれるんじゃないかなと思います。無理はせず、でも、勇気を持って、まずは進んでみて下さい。進んだ先には必ず何かがあります!
GO TO SCHOOL!! 夢実現インタビュー 嘉人(俳優・タレント・殺陣講師)
Profile
嘉人(Yoshito)/俳優・タレント・殺陣講師
1982年5月25日生まれ。那覇市出身。
俳優を目指し、2003年に上京。
現在は東京を拠点に、映画、舞台、ドラマ等で活動。
「琉神マブヤー3」、「葬儀人アンダーテイカー」等多数の作品に出演。また、2018年8月5日放送のJNN九州沖縄共同企画、夏休みドラマスペシャル『アンマー』では、主演の「真悟」役を演じた。2018年10月から放送のアニメ「火ノ丸相撲」(BS11、TOKYO MX等他 放送)では声優に初挑戦するなど、活躍の場を広げている。
information
2018年・10月~BS11,TOKYO MX等他 放送 アニメ「火ノ丸相撲」真田勇気役(声優) ・10/16(水)~10/21(日) 舞台「GUNS~All or Nothing」舞浜役(主役の一人) @築地本願寺ブティストホール ・BS11 「世界の国境を歩いてみたら…」(毎周金曜)18:59~20:59放送 (国境ハンター 不定期出演) 2019年 ・沖縄、台湾合作映画 「鬼月の島」リクオ役(2019年公開予定) ・2/19(火)~2/23(土) 舞台 大森カンパニープロデュース人情喜劇「あじさい」 @下北沢 本多劇場 他、出演予定 詳しくはSNSで
[HP] https://www.oscarpro.co.jp/
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GO TO SCHOOL 2018.10