靴磨きの奥深さに惹かれ、靴の手入れ専門店「SHOESHINE FACTORY」を立ち上げた仲程秀之さん。もともとはアパレル業界にいたが、ある出会いをきっかけに靴磨きの魅力にどっぷりとハマることになる。靴磨き職人・仲程秀之が生まれるまでのストーリーを覗いてみよう。
Interview
県内のデザイン系専門学校を卒業後、就職のため上京した仲程さんは、イラスト制作会社やアパレル会社で務めた後、沖縄に帰郷。さらにアパレル会社で経験を積み、靴磨き職人となった。『靴磨きを極め、沖縄で靴の手入れ専門の第一人者になる』と決意するまでの道のり、好きなことを仕事にするとはどういうことなのかを、記憶を遡りながら教えてもらった。
マンガ、ゲーム好きが高じてデザイン系の専門学校に進学
靴磨き職人である現在から遡ること19年前。高校3年生だった仲程さんが興味を持っていたのは、靴を扱うアパレル業界とは違う世界だった。「正直、当時は明確な夢はありませんでした。ただ、マンガやゲームが好きで絵を描くのも得意だったので、那覇市内にあったデザイン系の専門学校に進学しました。我流で絵を描いていましたが、入学後はデッサンなどの基礎や絵、色彩について学びました」。
迷うことなく県外での就職を選択。就職活動で東京に足を運ぶ
迎えた就職活動シーズン。学校に集まる求人先は県外が多かったこともあり、東京で働くことを念頭に就職活動を始めた。「何社か面接や試験を受けました。第一希望のスタジオにはいけませんでしたが、無事内定をいただきイラスト制作の仕事に就きました。沖縄を離れて東京で暮らすことに抵抗もなかったし、専門学校の先生がイラスト制作会社に務めるプロだったので、学生時代から仕事内容はある程度は把握していました。ときには、徹夜で仕事をしなければいけないハードな仕事だということも覚悟はしていました」と、苦笑いをしながら教えてくれた。
現実は甘くないと知った20代前半。生きるために選択した道とは
イラストを書いたり、アニメーターに近い仕事をしたりと、仲程さんが手掛けた仕事はさまざま。依頼を受けたあと、数日以内に仕上げなければいけないハードな仕事も多く、三日三晩寝る間もなく徹夜作業…、なんてことも経験したのだとか。そんななか、社会人として厳しい現実と向き合うことになる。「入社当時は、自分には才能があると信じていました。しかし、働いてみると全く違った。給料が歩合制だったため、才能がある人は仕事が早くて仕事量をこなせるからそれなりに稼げるけど、才能がない人は仕事のスピードが遅いから稼げず給料は低いまま。もともと給料が低かったのもありますが、私は生活がままならなくなるレベルまで苦しくなったんです(苦笑)。つまり、私はイラストの仕事で稼げていない。才能がないと気付きました」。
そして、仲程さんは社会人として地に足のついた生活を送るため、ある選択を迫られることに。それは入社してから3年が経った頃だった。「専門学校の恩師には、『3年仕事を続けて成果が得られなければ才能がないと思え』と、教えられていました。なので、とりあえず3年はがむしゃらにがんばった。でも、生活の厳しさは変わらず、生きていくためにも、イラスト制作の仕事に見切りをつけることを決めたんです」と、その後のキャリアチェンジまでの経緯を話してくれた。
異業種のアパレル業界へ転職。聞き慣れない専門用語に四苦八苦
才能がないと感じたからには、同業種の仕事には就けない。イラスト制作会社を辞めて転職した先は、東京を拠点としているショッピングモールの衣料部門だった。人生で初めて、服飾などを専門とするアパレルの仕事に就くことになる。「いま思えば恥ずかしい話ですが、初めて服飾系に携わったので、ズボンの裾部分の長さ調整をする『裾上げ』の言葉の意味すら分からない状態でした。勉強しなければいけないことがありすぎて、何から覚えればいいのかがさっぱり分かりませんでしたね」と、照れながら話す。職場の人に教えてもらったり、独学で勉強をしながらアパレル業界の仕事と向き合った。
尊敬する上司に出会い得た仕事観。仕事をする上でのベースを構築
新天地で働く仲程さんに、接客の仕方や話し方など、基礎から知識を叩き込んだ上司がいた。これまでの人生の中でいちばん尊敬している上司と話すのは、衣料部門の課長だ。「仕事と向き合うスタンスが本当にかっこよかった。毎週入るチラシに合わせて売り場の陳列などを直さなければならないのですが、どんなに忙しくても上司が率先して動いていました。仕事と真摯に向き合う上司の姿を見ることで、いかに効率よく質の良い仕事をするかが、どれだけ大切かを学びました」。
チラシに合わせた売り場のディスプレイ変更は、いつしか仲程さんの仕事に。しかし、完全に任されるまでは決して楽ではなかったそう。「上司についてディスプレイ直しの作業を手伝って3ヵ月ほど経ったある日、一人で完成させてみろと言われました。記憶を辿りながら1人で直しましたが、僕が仕上げたのはお客様に見せられるような売り場ではなかった…。上司に『これは売り場じゃない。いままで何を見てたんだ』と怒られました。休日出勤して、涙目になりながら丸一日かけて作り直して。出来上がった売り場を再度確認してもらい、『これならいいんじゃないか』と言ってもらえたときは、初めて認められたような気がして本当にうれしかったです」。その後も任せられる仕事が増えていった仲程さん。度々の上司からのダメ出しに対応し、期待に応えようと必死で働いた結果、途中で放り出さずに忍耐強く、仕事と真摯に向き合う姿勢を培うことができたそうだ。
しかし、転職してから3年ほど経ったある日、上司が別店舗へ移動することに。同じ勤務先への配属を希望するも叶わず、上司の移動をきっかけに退職。それほどまでに、仲程さんにとっては大きな存在だった。そして、退職を機に、沖縄に帰郷する。
26歳のときに沖縄へ帰郷。靴磨き職人の仕事に魅了される
沖縄に帰って来たのは26歳の頃。ジーンズショップなどで働いた後、沖縄市のアパレルショップ『ロジャース』に就職し、独立する直前まで働いた。そして、ロジャースで靴の販売担当となったのをきっかけに、靴との結び付きが強くなっていく。「独学で靴について勉強しました。そんなとき、靴ケア用品を卸していた営業さんと仲良くなり、ケア用品の使い方や手入れの仕方などを聞いて覚えているうちに、販売のアフターサービスとして靴磨きをすることになったんです。靴が綺麗になるとお客様は皆、笑顔になる。これは僕にとって大きな発見でした。お客様のニーズを肌で感じ、自分で靴磨きのイベント企画してみたところ、イベント当日は思った以上にお客様に喜んでもらえて、さらに靴磨きの世界に魅了されていきました」と話す。専門書を読んだり、動画を見て実践したりと独学で技術を身につけ、どんどん靴磨きの知識と技術を極めていった。
人生をかけたいと思える好きな仕事を極めるために独立
イベントでの手応えと靴磨きの需要の高まりを感じていた仲程さん。熱中できる仕事をみつけた彼は、靴磨きのプロになる道を選び独立を決意。販売員の仕事を辞め、今年4月、靴の手入れ専門店『SHOESHINE FACTORY』を立ち上げた。「沖縄では革靴を履く人が少ないのは事実です。でも、だからこそ、沖縄では靴磨きを専門にしている人は珍しい。『靴磨きを極め、沖縄で靴の手入れ専門の第一人者なりたい』と、思うようになり独立しました。起業講座にも参加し、独立に向けた準備もしっかり行いました」と独立前を振り返る。
一人でも多くの笑顔に出会うため靴磨き職人として実現したいこと
靴磨きが好きとはいえ、仲程さんは自分の靴を磨いているときは楽しさを感じないのだという。やはり、依頼を受けて靴を磨き、綺麗になった靴を受け取りにくるお客様の笑顔に出会えるからこそ、仕事にやりがいを感じると話す。「ブラシでホコリなどを落したら、ローションで汚れなどを落とす。そして、乳化性クリームで革に栄養を与え、もう一度ブラシで磨いてクリームをなじませていくことで、靴が輝きを増していきます。そして、最後に乾拭きをしたら靴磨きは終了です。この一連の作業は同じですが、常に磨き方は違います。靴の汚れ具合や素材、その日の湿度によっても磨き方が変わってきます。そこが、靴磨きの奥深さ。一回も同じ磨き方をすることはないんです。だからこそ、磨いてきれいになった靴を手にしたお客様がふとした笑顔を見せてくれると、とてもうれしくなります。喜んでくれている姿を見ると、さらに自分自身の靴磨きの技術を向上させたいと思いますね」。
現在は、沖縄での靴の手入れ専門の第一人者となるためには何が必要かを模索中。靴を磨いているライブ感を楽しんでほしいとの想いから、靴磨きのワークショップも主催している。「現時点で持っている技術をベースに、販売業で培ったノウハウを取り入れながら新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。将来的には、服に合わせた靴の選び方など、お客様の疑問などを解決する『靴のコンサルティング』ができないかと模索中です」。
経験したことを活かしながら好きを極めて仕事にする!
デザイン系の専門学校を卒業し、デザイン制作会社に就職。転職後、アパレル業界へと足を踏み入れた仲程さん。紆余曲折はあったものの、これまで経験してきたことは今の仕事の随所に活かされている。「色彩であったり、モノの見せ方など、デザイン的な能力は、アパレルの仕事で活かすことができました。また、一度目の転職先で叩き込んだ仕事に向かう姿勢は、その後もずっと活かされています。学んできたことがその後の人生のどこで役立つかは分かりませんが、全て繋がっているんだと思います」。仲程さんが培ってきたことは、これまであらゆる場面で活かされてきた。そして、これからもベースとなり、活かされていく。
『好き・極めたい』と思える靴磨きの仕事に出会えた仲程さん。靴磨きの奥深さに魅了されるまでは、自身が起業することは一度も考えたことがなかったという。「私の場合、職場の環境や人との出会いがきっかけで、好きと思える靴磨きの仕事をみつけました。靴の手入れ専門店『SHOESHINE FACTORY』が成功するか、失敗するかはまだ分からない。不安がないわけではありません。でも、いくつかのきっかけが重なり、起業するタイミングが訪れたと考えると、その流れに乗らない手はない。自分の直感を信じて流れを察知できるか、その流れを逃さずに掴めるかで、人生も変わってくるんだと思います」と、教えてくれた。
将来に迷いが生じたとき好きなことを思い出してみよう
いまでは、好きな靴磨きを仕事にしている仲程さん。楽な道のりではなかったが、だからこそアドバイスできることも。「まずは本気で好きなものを探してみてください。私の人生は紆余曲折ありましたが、経験したことが無駄だったことはなく、全て今の生活に活かされています。何が自分の特技で、何が仕事になるかは、好きなことを持続することで見えてくると思います」と、自身の経験を踏まえながらアドバイスをくれた。
夢インタビュー 仲程 秀之(靴磨き職人)
Profile
仲程 秀之 Hideyuki Nakahodo
1980年沖縄県生まれ。コザ高校卒業後、県内のデザイン系専門学校に進学。
東京、沖縄でデザイン制作会社やアパレル会社で務め、2017年4月に「SHOESHINE FACTORY」を立ち上げる。
HP:http://ssf-okinawa.com
GO TO SCHOOL 2017.11